日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成29年7月1日永代経/日蓮正宗佛乗寺

御本尊様へのお給仕

【御本尊様へのお給仕】

 私たちが、御本尊様にお水を御供えしたり御飯を御供えすることを、「御本尊様へのお給仕」といいます。その「給仕」の意味を辞書で調べてみますと、

【給仕・給事・給侍】 貴人のそばに仕えること。貴人の身のまわりの世話、雑用をすること。またその人。
とあります。(日本国語大辞典)

 また、聖徳太子のころの律令制では、中務省(なかつかさしょう)に属し、天皇の近くで仕え、身のまわりの世話などをする高級官僚を侍従といいました。これは現在でも使われており、宮内省の○○侍従長の話によれば、などと新聞やテレビなどで報道されたりします。 

 以上のことを念頭において話を「給仕」に戻しますと、「御本尊様へのお給仕」という言葉から、この上もなく貴い御方・末法のご本仏日蓮大聖人様のそばでお仕えしている「私」が見えてきたと思いますが如何でしょう。

 大聖人様は『南条殿御返事』で、

法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり
(『南条殿御返事』御書一六五九頁)

と述べられております。

 誰でも彼でも簡単にお給仕ができる、ということではなく、最高の御本尊様を我が家にお迎えして、お給仕ができる私たちも、また貴い立場にあり、過去世から御本尊様に縁のあった者であることを忘れないようにしたいものです。

 その意味から、御本尊様へのお給仕は、我が身を貴い立場に導いて下さっていることへの「感謝」の心が出発点にある、といえます。

 この感謝の心から御本尊様へのお給仕がはじまります。お仏壇の掃除、お水やお樒やご飯(仏飯)の御供えも、感謝の表れです。さらに、ローソクの灯り、お線香の香りも感謝の心から出た御供えなのです。感謝の心が御供養であることを、

大聖人様は『日女御前御返事』で次のように教えて下さいます。

「昔、喜見という菩薩が、日月浄徳仏の教えを受け、その有り難さに感激して「万の重宝」を御供養した。それでもなお足りないと思い、我が身に油を塗り一千二百年もの間燃やし続けて灯火の代わりに御供えをした。さらにまだ足りないと考えて、今度は七万二千年ものながいながい間、臂を灯火として法華経に御供養をした(取意)」(御書・一二三〇頁六行目〜九行目)

というものです。つまり、報恩感謝の表れが御供養でありお給仕だ、ということです。このように、御本尊様を大切にすることで、私たちの信仰は一歩も二歩も前に進むことが出来るのです。日々のお給仕を大切にして、より多くの功徳を積んでまいりましょう。

 さて、日蓮正宗では、御本尊様にお給仕をすることを、「三因仏性」を育て養い成長させること、と説明いたします。三種類の仏に成ることの出来る因子を三因仏性といい、次の三つです。

@正因仏性(しょういんぶっしょう・私たちの命にもともと具わっている、仏に成ることの出来る因子のこと)
A了因仏性(りょういんぶっしょう・仏に成ることの出来る因子を悟る智慧のこと)
B縁因仏性(えんいんぶっしょう・了因の智慧を縁として、本来私たちに具わっている正因仏性を開いて育てる仏道修行のこと)

 これをお給仕にあてはめて考えてみますと、@の正因仏性は、御本尊様を信じている私たちにとっては、命の中に最高の財を持っていることを信じて、御本尊様に手を合わせることです。Aの了因仏性は、財がどこにあるのかを明かす智慧を発揮することです。この智慧を智と慧に分けますと、智は外に向かって働くもの、表し出すことをいい、その元になるものを慧といいます。したがって、お水や樒を御供えすることは、御本尊様の正しさを信じ、その正しさを姿形で表していることになります。さらにBの縁因仏性は、私たちの生命の中にある仏様の種に水や肥料をやることですから、修行に励むことです。『御義口伝』には、

朝々仏と共に起き、夕々仏と共に臥す(御書・一七四九頁)

と説かれております。毎朝、毎夕御本尊様にお給仕をすることが、私たちの信仰の根本になることがお分かりになると思います。

 来月は、お給仕の中でも「どうしてお水なの・お茶やジュースでも良いのでは」という質問にお答えしたいと思います。

 ジメジメとした毎日です。体調の維持も難しい季節ですが、ご信心第一に前を向いておれば、命の中にある仏様の種は必ず芽を出して大きく成長いたします。一生成仏を願えば暑さも涼しさに「変毒為薬」です。ともに精進を。

以上


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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