日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成29年8月1日 一日講(永代経)日蓮正宗佛乗寺

御本尊様にお水を御供えするのは何故ですか

『日有上人化儀抄』

一、茶湯有るべからず唐土の法なるが故に。霊供の時も後に酒を供すべし云云。此の世界の風俗は酒を以て志を顕す故に、仏法の志をも酒を以て顕すべしと云ふ意なり云云。

〈語句の意味〉

○茶湯=お茶と薬湯。薬湯は薬草を煎じたもの。

○唐土の法=中国で新たに始められた教えの意。具体的には禅宗のこと。禅宗は中国で達磨が始めたもので、茶を供える。

○霊供=御霊供膳の略。聖霊に供えるお膳のこと。聖霊は死者の霊。

○此の世界の風俗=此の世界は日本のこと。風俗は風習習慣のこと。つまり、日本の風習習慣のこと。

○酒を以て志を顕す=喜怒哀楽の志を、酒を酌み交わすことで顕すのが日本の風習習慣である、ということ。

○仏法の志=ここの仏法は日蓮正宗のことを指す。志は私たち信徒の志。

〈現代語訳〉

 お茶や薬湯を仏前に御供えしてはなりません。お茶などを供えるのは、中国で始まった禅宗のしきたりですから。亡くなった方のお膳にもお酒をお供え致します。日本では、喜びや悲しみ、また怒りや楽しみなどの心を表すときに、酒を酌み交わす風習や習慣があります。本宗の信仰においても、これらの例にならい、御本尊様の前に座ることができる喜びを表すときにも、亡き方の霊の前で来世の成仏を願うときにもお酒を御供えするのです。

〈解説〉

 この『日有上人化儀抄』は総本山第九世日有上人が日頃から化儀についてお話になっていたことがらを、弟子の南条日住という方が書きとどめられたものです。文明十五年(一四八三年)に書かれました。応仁の乱で代表されるように、戦乱の世に向かう慌ただしい時代です。そのような中でも、大聖人様の教えを正しく伝える上から、このような書き物を残して下さっていることを有り難く思います。全部で百二十一条からなっており、実際に書かれたものが総本山に伝えられております。

 さて、この化儀抄から、お茶は御供えしないこととお酒を御供えする理由はわかりましたが、お水を御供えする理由が明らかではありませんね。何故お水を御供えすることがが書かれていないのでしょうか。

 それは、仏様にお水を御供えするのがあたりまえのことだったからです。ところが、お水よりもお茶の方が手間もかかるし高価だから仏様もお茶を喜んで下さるのでは、と考えた人がいたのでしょう。

 化儀抄が書かれたのは前述しましたように室町時代後期で、この時代に茶の湯が始まり庶民の間にも喫茶の風習が広がりました。このような時代背景を考えると、仏様への御供えが、水からお茶になったのも頷けるところです。

 ところが、我が総本山の日有上人は、お茶は御供えしない、と明言されております。その理由として、お茶を御供えするのは中国の禅宗のしきたりであることを挙げておられます。換言すれば、仏教発祥の地であるインドで定められた化儀を蔑ろにしてはならない、とのお言葉です。

 これに類似することに「仏花」があります。三月に学びましたが、日本に仏教が伝来したときの仏様へのお花は樒でした。ところが、時代を経るにしたがって色花になり、最近では名前の知らないような花が供えられております。色が鮮やかであったり、豪華に見えるのを御供えしたい心はわからないでもありませんが、本来の意味から外れては元も子もありません。樒を御供えする理由は、香と常緑樹の二点でしたね。覚えていることと思います。

 では、どうしてお水なのでしょうか。

 仏前に供える水のことを「閼伽」といいます。本来の意味は、価値あるもののことで、仏に捧げる御供えのことでした。転じて御供えを容れる容器のことを指すようになり、さらに転じて御供えの水のことになったといわれております。つまり、水が最も貴い御供えである、ということです。そこでインドのことを考えてみますと、酷暑の国インドでは水がもっとも価値のあるものとして大切にされていることと無関係ではありません。

 水を仏前に御供えする意味がおわかりのことと思います。

 私たちが信ずる法華経は、歴史上の始まりはインドの釈尊にあります。そこで、途中の達磨などが始めた禅宗などに惑わされてはならない、お茶などを供えることは根源の師を忘れることになります。次の御文を拝すればそのことがよくわかります。

@「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし」 (『曽谷殿御返事』一〇三九頁)

A「返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給ふべし。釈尊は一切衆生の本従の師にて、而も主親の徳を備へ給ふ」( 同 一〇四〇頁)

この御文から、大聖人様が釈尊を「根源の師」、「本従の師」とされていたことがわかります。故に、日有上人が「唐土の法」とされるのは、釈尊を蔑ろにする禅宗を破折する上からのお言葉でもあるのです。さらにその立場から一歩踏み込んだ教えが、日蓮大聖人様の文底の教えです。この点については場を改めて学びましょう。

 また、水は汚れを洗い流し一切を清浄にします。これは、私たちの生命の濁りを浄化することになぞらえます。さらに、水は高きより低きに流れます。このことは、仏様の慈悲が仏界の高きところから、地獄界の低きに流れて全ての人々を平等に救済することを表しております。

以上のことから本宗では御本尊様にお水を御供えするのです。

※水は私たち人間が生きる上で欠かすことのできない大切なものです。その大切な水を、朝起きたら何をおいても先ず御本尊様に御供えすることは、御本尊様を大切にしているなによりの姿です。御本尊様を御護りする信仰の表れです。

 暑い中ですが、御本尊様を大切にお守りすることで、命の中に「清涼の池」を持つことになります。清く涼しい命で、酷暑に負けないように夏を過ごそうではありませんか。ご精進をお祈り致します。

 

以上


文責編集部 転載複写等禁止

日蓮正宗向陽山佛乗寺

ページのトップへ戻る