日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成29年9月 日蓮大聖人御報恩御講/日蓮正宗佛乗寺

大白牛車御消息

日蓮大聖人御書:『大白牛車御消息』(平成新編日蓮大聖人御書・一五八二頁)

弘安四年 六〇歳

『大白牛車御消息』(弘安四年 六〇歳 新編御書一五八二頁)

 抑法華経の大白牛車と申すは、我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり。彼の車をば法華経の譬喩品と申すに懇ろに説かせ給ひて候。但し彼の御経は羅什、存略の故に委しくは説き給はず。

 天竺の梵品には車の荘り物、其の外、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝まで委しく説き給ひて候を、日蓮あらあら披見に及び候。先づ此の車と申すは縦廣五百由旬の車にして、金の輪を入れ、銀の棟をあげ、金の縄を以て八方へつり縄をつけ、三十七重のきだはしをば銀を以てみがきたて、八万四千の宝の鈴を車の四面に懸けられたり。三百六十ながれのくれなひの錦の旛を玉のさほにかけながし、四万二千の欄干には四天王の番をつけ、又車の内には六万九千三百八十余体の仏菩薩宝蓮華に坐し給へり。帝釈は諸の眷属を引きつれ給ひて千二百の音楽を奏し、梵王は天蓋を指し懸け、地神は山河大地を平等に成し給ふ。故に法性の空に自在にとびゆく車をこそ大白牛車とは申すなれ。我より後に来たり給はん人々は、此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候。日蓮も同じ車に乗りて御迎ひにまかり向かふべく候。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

 

日蓮花押

【現代語訳】

 そもそも、法華経に説かれます「大白牛車」という車は、私も周りの人も、法華経を信じるならば乗ることのできる車です。この大白牛車のことは、法華経の譬喩品に懇に説かれております。ただし、教典を梵語から漢語に翻訳した鳩摩羅什が、省略して翻訳をしたために、委しくは説かれておりません。

 しかし、インドの言葉である梵語で書かれたものには、大白牛車の飾りもののことや、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七種類の宝物のことまで委しく説かれております。日蓮はおおよそそれらを目にしております。

 それによれば、この車の大きさを、縦と横が五〇〇由旬あると説かれます。さらに車輪は金(こがね)、棟は銀(しろがね)、また八方に付けられている吊り縄も金でできております。また、乗るための三七段の階段も銀で造られ、宝をちりばめた八万四千もの鈴が車の四方に懸けられております。紅の錦で造られた三六〇流れの旗を、貴い棹にかけ流しております。四万二千の欄干では四天王がかわるがわるに番をしております。また、車の中には六万九千三百八十余の仏様や菩薩方が蓮華の台座にお座りになっております。帝釈天は多くの者を引き連れ一千二百の音楽を奏でられ、大梵天王は車の上に天蓋を差し掛け、地神は山河や大地を平にされました。

 そのようなわけで、最も尊い乗り物である、との意味から、この車を大白牛車と呼ぶのです。この大白牛車は、「法性真如」つまり、真実で永遠に変わることのない筋道、時間的には過去・現在・未来の三世、空間的には無限に広がる大宇宙を、さらには私たちの生命に具わる地獄界から仏界までの十界をも思いのままに飛び交うことのできる車であるというのです。日蓮より後に来る人々は、この車に乗って霊山においでになられるとよいでしょう。日蓮も同じ車に乗ってお迎えに参ります。

【語句の意味】

○大白牛車=白く大きく力の強い牛が引く宝物で造られた車。法華経譬喩品第三で、「三車火宅の譬え」を説かれる中にある。@羊車(声聞界の車)A鹿車(縁覚界の車)B牛車(菩薩界の車)の三種類の車よりもさらに貴い車で、一仏乗つまり仏界の車を指す。すなわち、釈尊の譬喩品では法華経を指し、末法の御本仏日蓮大聖人様の教えでは、大御本尊様が大白牛車にあたる。

○法華経の行者=末法では日蓮大聖人様のこと。さらに大聖人様の教えを信じて広宣流布を願って折伏に励む私たちも法華経の行者の一分に加えていただけることを示される御文。

○譬喩品第三=法華経の迹門。前述の三車火宅の譬えが説かれている。智慧第一の舍利弗も智慧の力で仏に成ったのではなく、信ずる力で仏になったことを明かす「以信得入(信じることで悟りに入ることができる)」の教えが説かれている。

○羅什=鳩摩羅什のこと。私たちが朝夕に読誦する法華経は鳩摩羅什が翻訳したもの。臨終を前に鳩摩羅什は、「私の翻訳に誤りのない証拠に、火葬したときに舌だけは焼けないで残るであろう」と言い遺し、実際にその通りになったことが「高僧傳」にある。

○天竺=日本と中国で用いられた古代インドの呼び名。

○梵品=梵語で書かれた経文。梵は梵語・サンスクリット語のこと。古代インドで使われていた言語。品は経文のことを指す。

○聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝=@仏の教えをよく聞くこと。Aその教えを信じ持つこと。B仏の定める戒律を守ること。C心を正しい教えに定め、真理を悟るように勤めること。D仏道修行に励むこと。E執着の心を捨てること。F反省して、外にそのことを表すこと。経文に説かれる七宝は、金・銀・瑠璃(るり)・玻璃 (はり)・??(しゃこ)・珊瑚(さんご)・瑪瑙 (めのう)などがあります。ここで大聖人様は、物質的な宝よりも、悟りを得るための修行が宝である、と教えて下さっております。

○由旬=古代インドで用いた距離の単位の一つ。一由旬は、一万一千二百メートル、あるいは一万四千四百メートルといわれる。また、帝王の軍隊の一日に進む行程ともいわれる。五百由旬はその五百倍。

○棟=牛車の屋根の上に前後に渡した木。

○きだはし=階段のこと。

○四天王=仏法を守護する、持国天王・増長天王・広目天王・多聞天王のこと。

○宝蓮華=仏や菩薩が坐る蓮華状の台座。

○帝釈=帝釈天のこと。大梵天王と共に、仏法を守護する善神。須弥山の頂きにある喜見城に住している。

○梵王=大梵天王のこと。娑婆世界を治める善神。

○天蓋=仏や仏像に差し掛ける蓋(かさ)のこと。

○地神=仏教を守護する善神で、大地のことを支配・統括・管理する役目があるとされる。御書には「親不孝なものが住んでいるところを地神が支えきれずに大地震が起こる」とある。

○法性の空=法性は、真如・実相・法界と同意。また悟りの境地。全ての存在や現実に起こることの本質と本体のこと。変わらず改まらないものを表す言葉。宇宙森羅万象の根源の法のこと。大聖人様はこの根源の法を「南無妙法蓮華経」として表された。法性が広く大きく無限であることから大宇宙に譬えられ、「空(そら)」と仰せになられた、拝する。

○霊山=釈尊が法華経を説いた霊鷲山の略で、仏の住する国土のこと。

◇ 大白牛車は誰でも乗ることのできる車

 日蓮大聖人様は、「我も人も法華経の行者の乗るべき車」と仰せになり、御本尊様を信じて南無妙法蓮華経と御題目を唱えるならば分け隔てなく、御本尊が霊山に導いて下さることを約束下さいます。霊山は仏の住む国土ですから、あらゆる苦悩から解放された国土です。そこに住む人も当然ながら、悩みや苦しみから解き放たれた、自ら法の楽しみを受ける貴い境涯にあります。生きている時も、来世でも御本尊様を信じることで受けることができる大きな功徳を示されたお言葉です。また、我(日蓮大聖人・仏)と人(私たち・凡夫)がともに乗ることができるのが大白牛車である、との仰せを忘れてはなりません。このお言葉で、南無妙法蓮華経の信仰により、一人残らず仏の悟りを得ることができることを示されているからです。老若男女・人種も地位や名誉も越えて、全ての人が平等に乗ることのできる乗り物が大白牛車であることを心に留め、一人でも多くの人が乗れるように祈り行動を起こしましょう。

◇ 聞くことから始まる

 大白牛車を飾る宝に、「聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝」があります。日蓮大聖人様の教えを聞くことがすでに宝であり、財は法を聞くことから始まる、と示されるのです。ゆえに、私たちが幸せになるためには、先ず聞くことです。素直に聞き、信じ、御本尊様一筋の戒を持ち、御本尊様の前で南無妙法蓮華経と御題目を唱える修行に励むことで、お金や地位や名誉に拘泥する悪しき執着から離れ、私たちの心を飾り輝かせてくれます。「蔵の財より身の財、身の財より心の財第一」と大聖人様が教えて下さる通りです。さらに、我が身が宝物で飾られたとしても、慚る心を忘れずに、慢心することなく自らを見つめ、さらに心を新たに法を聞き、信を深くして進むことで、益々身を飾ることができることを教えて下さっております。それらの全ては、「法を聞く」ことから始まるのです。

◇ 時空を超越した自由自在の旅

 「法性の空に自在にとびゆく車」とあります。法性については語句の説明で述べましたように、宇宙森羅万象の根源の法であり、「南無妙法蓮華経」のことです。大聖人様はこの「南無妙法蓮華経」を本門戒壇の大御本尊様として御図顕下さいました。換言すれば、宇宙森羅万象の根源の法を、私たち凡夫の眼で直接拝することが叶うようにして下さったのです。

 さらに、、南無妙法蓮華経の御本尊様は、私たちの身体であることを、『阿仏房御書』で、

「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此より外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり」(御書・七九二頁)

とお示し下さっております。有り難くも勿体ない御文です。

 御文の意を拝しますと、「御本尊を受持する阿仏房の身体を構成する五大は妙法五字(宝塔)である。したがって、阿仏房は宝塔であり宝塔はそのまま阿仏房である。これ以外に思いをすることは無益である。聞信戒定進捨慚の七宝を以て飾った宝塔である」となります。つまり、日蓮大聖人の教えを信じて自行化他の信仰に励む私たち一人ひとりは、貴い「宝塔」すなわち御本尊様と同体である、ということです。私たちにとってこれ以上の嬉しいお言葉はありません。

 では「法性の空に自在に飛び行く車」とはどのようなことなのでしょうか。御本尊様を信受して南無妙法蓮華経と御題目を唱え、宇宙空間を自由自在に飛び回る我が身を想像すると、なんだか楽しくなります。また自在とありますのは、瞬時と拝することができます。したがって四百光年離れている北極星にも瞬時に飛んで行けることになります。このことから、空間だけではなく時間も自在に行き来することができる、のではないでしょうか。つまり、北極星から見た日本は四百年前の江戸時代の初めだからです。このように考えますと、過去・現在・未来の三世を往き来することができるタイムマシーンのようです。大白牛車は生命の宇宙船であり、タイムマシーンだと思えば、唱題も楽しくワクワクしたものになりませんか。

 また、個人個人の生命観の上から考えてみますと、過去世・現世・来世の三世を自在に行き来することができる、といえるのではないでしょうか。私たちは、過去世の善悪の業によって現世があります。そこで来世をよくしたいのであれば、現世に善きことをすればよいことが分かります。現世に善いことができる元・因は過去世にあります。であれば、今日を大切に思い、善きことを心に懸け、前に進むことは、未来ばかりか過去をも肯定することが出来ることに気づきます。これは原因と結果の法則に当てはめれば、誰にでも理解することの出来る不変のものではないでしょうか。

 では「現世に善きことをする」とはどのようなことでしょうか。人間としての常識ある振る舞いは当然のことです。慈悲の心をもって日々を過ごすことで多少の善根は積めるでしょう。しかしそれは私たち凡夫の心に従ったものであり、凡夫の心はその人の置かれている状況によって瞬間瞬間に変わるもので、持続する慈悲や優しさではありません。そこで、仏様が南無妙法蓮華経の信仰を勧め、「あなた達の変化する心を中心とするのではなく、宇宙森羅万象の根源の法を中心として活動を展開することで、変わらない慈悲や優しさを発揮することができるようになります」と。

◇ 日蓮大聖人様が教えて下さる南無妙法蓮華経の御題目は自他ともの幸せを願う御題目(『三大秘法抄』)

「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書・一五九五頁)

とありますように、自らが信ずるだけではなく、周りの人たちにも勧めて一緒に南無妙法蓮華経と唱え、幸福境涯を目差して進むことが平成の今日の正しい信仰の在り方であり、最高最良の善きことなのです。

 「自行化他」を別の言葉でいえば、「私の信仰はとても素晴らしいから、貴方も一緒にしませんか」ということです。これは、「美味しいお饅頭を独り占めするのではなく、皆で分け合いましょう」という仏様や菩薩様の修行です。貴い仏様や菩薩様の修行が、私たちのような凡夫にもできるのですから、「自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」の信仰はありがたいのです。繰り返しますが、この自行化他の信仰が「現世での善きこと」になります。現世での善きことは、来世を自在に生きる元になるのですから、現世での信仰が大切なものであることに気づくのです。

 「自在」というお言葉でありがたく思うことがもう一つあります。それは私たちの心の中、生命の状態を自在に変えることが叶う、と拝するからです。日常生活において、私たち凡夫が常に仏の心をもつことは至難の業です。私たちの心は際限のない苦しみの世界にあり、地獄界や餓鬼界や畜生界、また嫉妬や猜疑心から起こる争いに明け暮れる修羅界などにあるのが実情ではありませんか。そのような怒りや愚痴ばかりの心にあるとき、御題目を一遍唱えることで、一瞬でも菩薩様や仏様の心に移動することができるのですから嬉しいではありませんか。御題目を唱えた一瞬は間違いなく仏界です。

 このように「法性の空に自在に飛び行く車」の意味は広く深いものがあります。大切なことは、日蓮正宗富士大石寺に御安置の、「本門戒壇の大御本尊様」を根本として、日蓮大聖人以来の正法を護持あそばされる、日如上人のもとで南無妙法蓮華経と信仰を持続することです。その信仰があれば、悠々たる現世と来世があります。悠々たる現世と来世はそのまま過去世の姿でもあります。現世が安穏であれば三世も安穏であることを思い、自行化他の御題目を唱えてまいりましょう。

◇ まとめ

 私たちは母親のお腹から生まれた瞬間、もっと根源的にいえば、今生に生命体として誕生したその瞬間から、一日一日と臨終に向かって進んでおります。ですから、確実かつ平等におとずれる臨終を常に意識の中に置き、今日を生きることが大切になります。若いときから正しい信仰に縁をすることが、とても素敵なことである、といわれる所以です。

 年配の方は、若い方よりも来世に旅立つ確立は近くなっておりますので、若い方よりも、また自身の若いときよりも真剣に信仰に励むことができるようになります。それは私たちの本能である、といってもよいのではないでしょうか。無意識のうちに、来世に具える行動を起こしているのですから。これもまた素敵なことです。

 ただし、年を取って体も動かなくなったから、このへんで一休みしよう、という考えになったときにはお互いに注意をいたしましょう。それは「懈怠」という精進の反対の心の状態になっているからです。これまでの貴い功徳を無駄に消費することになります。このへんで一休みしよう、と思うのではなく、耳も遠くなり目も薄くなった、腰も痛いし膝も痛い、だけれども、自身の来世のために、周りの人のために、少しでも御本尊様のお使いをしよう、と自らを励まし御題目を唱えましょう。そうすることで、「法性の空に自在に飛び行く車」に堂々と乗ることができ、日蓮大聖人様のお迎えを賜って、願った来世に生まれ変わることが叶う秘訣です。

 考えてみますと、生物にとって平等におとずれる死は、とても意味のあることだといえます。生物に死があるのは、生物にとって最大の発明だ、といわれるほどです。細胞の新陳代謝と同じように、生物全体の新陳代謝があることは重要な意味があるのです。であれば、死を恐れずに、死を侮らずに、死を真っ直ぐに見つめることは、「臨終のことを習って後に他の勉強をしなさい」とのお言葉を実践することになります。その実践に七種類の最高の宝で飾られる功徳が具わります。日蓮大聖人様の教えて下さるままに、正直で素直な信仰に励むことで、唯一最高の乗り物で来世に赴くことができるのですから、心を緩めることなく、一筋に進んでまいりましょう。

 お寺の花水木の実がいろずいてまいりました。例年になく早いように感じております。気候変動の影響でしょうか。濁世が植物の世界にも影響を及ぼしているのでしょうか。しかし、周りがどのように変わろうとも、私たちの信仰は不変であり、私たちがこの信仰を強く信ずることで、周りを変えることが出来ます。強く信じ、固く信じ、実りの秋を楽しもうではありませんか。皆さまの益々のご精進を御祈念申し上げます。

【核爆弾やミサイルを必要としない社会を願って】

 日蓮大聖人様の八百回目のお誕生日が平成三十三年二月十六日に巡ってまいります。私たち法華講衆は、この節目までに世界中で八十万人以上の人たちが三大秘法の御本尊様を信じるように、そしてみんなでお祝いを申し上げましょう、と自行化他の信仰に励んでおります。これは『立正安国論』に説かれている「自らの幸せを願うのであれば、周りの人の幸せも願うことが大切です」という大聖人様の教えを強く信じているからに外なりません。考えてみれば、自分だけが幸せになることなど絶対に不可能であることが分かります。当たり前のことなのに気づかないのが凡夫たる所以でしょうか。

法華経の薬王菩薩本事品第二十二に、 (新編法華経五三九頁)

「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等其の便を得ん。宿王華、汝当に神通の力を以て、是の経を守護すべし。所以は何ん。此の経は則ち為れ、閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、是の経を聞きくことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」

とあります。

 「我が滅度の後の後の五百歳」は今現在のことです。末法ともいいます。その時に世界中で法華経が信仰されて断絶することがない、と説かれております。仮りに悪魔や魔民などの邪な者が私たちを襲ったとしても、私たちは守られます。何故ならば、法華経は私たちにとって良薬であり、良薬を飲めば病はたちまちに消滅して不老不死の功徳を受けることができるのと同じように、どのような災難からも守られるのです。ここのところは、悪魔や魔民が法華経の良薬を飲み、法華経を信ずる人を守護する善神に変わる、と読むことができます。私たちに差し障りのあることをする者がいたとしても、強く祈り折伏をすれば、その人は守護の善神に変わるのです。お経文に説かれますように、広宣流布を願っての信仰は、世界中の人が一人残らず幸せになることを願うものであり、例え悪魔や魔民がいたとしても、それらを善神にする活動です。

 ミサイルを飛ばし、核爆弾を開発して世界中を不安にする某国の指導者も、お経文に当てはめれば、悪魔や魔民でしょう。お経文に説かれる悪魔や魔民を善神に変えるためには、仏様の教えを信じさせなければならないことを私たちはよく知っております。迎撃のミサイルやさらに強力な核爆弾で守ろうとして、状況をよくする事は出来ません。むしろ悪くするだけではないでしょうか。

 私に翼があれば、某国に飛んで行き、南無妙法蓮華経と御題目を一緒に唱え、折伏をするところです。残念ながら翼はありません。しかし、自在の大白牛車があります。お題目を唱え、悪魔や魔民が、夜叉や鳩槃荼が善神に変わるように、某国の指導者ばかりではなく、それに対峙している人々も善神となるように祈ります。檀信徒御一同におかれましても、他人事と思うのではなく、明日は我が身であると心得、今私たちにできる最大で最高かつ最良の唱題を重ね、現世安穏を祈ってまいりましょう。

 

以上


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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