日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成29年10月 日蓮大聖人御報恩御講/日蓮正宗佛乗寺

太田入道殿御返事

日蓮大聖人御書:『太田入道殿御返事』(平成新編日蓮大聖人御書・九一一頁)

建治元年 五四歳

『太田入道殿御返事』(建治元年 五四歳 新編御書・九一一頁)

 病の起こる因縁を明かすに六有り。一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節せざる故に病む、三には坐禅調はざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起こるが故に病む云云。大涅槃経に「世に三人の其の病治し難き有り。一には大乗を謗ず、二には五逆罪、三には一闡提。是くの如き三病は世の中の極重なり」云云。又云はく「今世に悪業成就し、乃至必ず地獄なるべし。乃至三宝を供養するが故に、地獄に堕せずして現世に報を受く。所謂頭と目と背との痛」等云云。止観に云はく「若し重罪有って乃至人中に軽く償ふと。此は是、業が謝せんと欲する故に病むなり」と。

 本日拝読の御文は、建治元年(一二七五)十一月三日、身延において認められ太田乘明に与えられたものです。この時大聖人様は五十四歳でした。別名を『転重軽受事(てんじゅうきょうじゅのこと)』ともいい、御真蹟の断片六紙が現在まで伝えられています。

  太田乘明あるいは、太田金吾、太田左衛門尉は、正式には、太田五郎左衛門尉乗明といいます。下総国葛飾郡八幡荘中山(現在の千葉県市川市)に住んでおりました。鎌倉幕府の問注所の役人であったといわれ、富木常忍や曾谷教信らと共に古くからの信徒として、千葉方面の広布の中心的な役割を担っておりました。夫婦揃って強盛な信仰でした。なお、後年の弘安元年四月二十三日の御書である「『太田左衛門尉御返事』(一二二一頁)には、「五十七歳の厄」とあり、弘安元年が五十七歳であったことが知れます。このことから、大聖人様と大田乗明は同い年であったことがわかります。したがってこの御書を頂いたとき、乘明も五十四歳でした。

 それでは御書を拝読いたしましょう。

 『太田入道殿御返事』( 御書・九一一頁)
病の起こる因縁を明かすに六有り。一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節せざる故に病む、三には坐禅調はざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起こるが故に病む云云。大涅槃経に「世に三人の其の病治し難き有り。一には大乗を謗ず、二には五逆罪、三には一闡提。是くの如き三病は世の中の極重なり」云云。又云はく「今世に悪業成就し、乃至必ず地獄なるべし。乃至三宝を供養するが故に、地獄に堕せずして現世に報を受く。所謂頭と目と背との痛」等云云。止観に云はく「若し重罪有って乃至人中に軽く償ふと。此は是、業が謝せんと欲する故に病むなり」と。

  通解をいたしますと次のようになります。

天台大師の説かれた摩訶止観には、病気の原因に六通りあることが示されています。
一には、身体を構成している地・水・火・風の四大の調和が崩れたため、
二には、暴飲暴食をしたため、
三には、心を一カ所に定める修行が乱れているため、
四には、悪鬼の企み、
五には、魔の仕業、
六には、過去世の行い、
また、『大般涅槃経』には、世の中には治し難い三種類の者がいる、とあります。その三種類の者とは、
一には、大乗経(法華経)を誹謗する者。
二には、五逆罪(ごぎゃくざい)を犯した者。
三には、正法を絶対に信じない者。
です。そしてこの三種類の者は、最も重い病の者であると説かれています。また、現世において悪業を重ねると、その罪によって来世には無間地獄に生まれことになります。(中略)しかし、仏・法・僧の三宝を供養したことで地獄に堕ちることはありませんでしたが、現世にその報いを受けることになります。その報いとは、頭と目と背の痛みです。この経文を解釈した『摩訶止観』では、もし重い罪業があり、来世において地獄の苦しみをうけるような場合でも、今生において正法を信ずれば、この世において軽く受け償うことが出来るのであり、これは、前世での罪業を教える上から、今世で病気になるのである、と解釈されております。

 次にここに上げられた六種類を順番にみてまいります。

 一には四大順ならざる故に病む、とあります。この四大は、@地大・A水大・B火大・C風大のことで、四大種ともいいます。仏法では私たちの身体を構成している元となる四種類の物質があると説きます。@地大は堅くて物を支える働きのあるもので、骨や爪や歯や筋のことです。A水大は水分を含み物を集める働きのあるもので、血液や体液のことです。B火大は熱を発し物を熟成させる働きのあるもので、現代科学では細胞中のミトコンドリアが熱を造ることが知られています。C風大は、体内を動き物を成長させる働きがあるとされる呼吸のことをいいます。
  仏教では正報である私たちの身と心と、依報である自然界が一体のものである、と説きます。この「依正不二」の教えは、自然界と私たち衆生との調和ある生活の意味でもあります。日が昇れば活動を開始し、日が沈めば活動を終わる、夏は夏、冬は冬の物を食べるような生活ができるのであれば、四大不順は起こらないかも知れません。規則正しい毎日は、病の予防になるといわれております。このことから、『摩訶止観』で病の原因として六種を挙げる中の最初に四大不順があり、最後に業が挙げられるのは、病の原因として軽いものから重いもの順に挙げられいる、ともいえるのではないでしょうか。天台大師の時代は、電気もなく、灯りといえばせいぜいローソクでした。季節の物しか食べることができませんでしたが、反対に環境との調和、という点では「依正不二」であったといえます。したがってこのような社会では四大不順は加齢現象によるものが大であると考えられます。それは自然の成り行きです。そこで、一番最初に四大不順がおかれたのではないでしょうか。

 二には飲食節せざる故に病む、とあります。これは暴飲暴食をしなければよいわけですが、わかっていてもやめられないのが凡夫です。また、餓鬼界の情念があれば、貪る心に支配されていますので自己管理だけでは解決できない問題だといえます。簡単に考えると怖いことです。喫煙やアルコール中毒などもここにあてはまります。

 三には坐禅調はざる故に病む、とあります。ここで天台大師は坐禅といいますが、末法の今日の信心では、御本尊様の前に端座合掌して勤行・唱題をすることです。これは皆さまにとっては、全く問題のないことです。仮りに、勤行・唱題が疎かになっているのであれば、今日から怠らずに励みましょう。病を未然に防ぐことにつながります。

 四には鬼便りを得る、とあります。鬼は次の魔よりもましかも知れませんが、このような便りはお断りしたいところです。しかしここでは、拒否するのではなく悪鬼に手紙で教えられる、と捉えることが大切ではないでしょうか。

 五には魔の所為、とあります。所為は、振る舞い、物事の起こった原因等の意味があります。天台大師も大聖人様も、魔の所為は信心が向上する過程であり、信心を励ますものであることを教えて下さっております。

 その一例を挙げますと、『聖人御難事』の中では、

月々日々につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。

と仰せになり、魔が出ないようにするには、毎月・毎日の精進が大切であることを教えて下さっております。しかし、その魔も

『兄弟抄』では、

魔競はずば正法と知るべからず。(御書・九八六頁)

と述べられて、私たちの信仰には必ず魔が出てくるのであるから、魔の用きによって病を得たり困難なことに直面しても、

難来たるを以て安楽と意得べきなり。 (御書・一七六三頁)

と『御義口伝』で述べられますように、怯むことなく唱題を重ね折伏を常に心がける信心によって、病魔を克服して健康を取り戻すことが出来るのです。病魔によって信心が深まり、成仏の境界をより強固に築くことが出来ます、とのお言葉は、私たちにとって、永遠の指針です。

  ただ、鬼と魔の仕業の二つは現世での行為に対する結果です。ですから、次に挙げられる六の業に比べると、同じ病であってもまだ軽いものだとされております。

 六には業の起こるが故に病む、とありますように最も重い病として現れるものは、過去世の業因にあることがわかります。ただし、大聖人様はここで『摩訶止観』を引用して、

止観に云はく「若し重罪有って乃至人中に軽く償ふと。此は是業が謝せんと欲する故に病むなり」

と誠に有り難いお言葉をもって私たちを励まして下さっております。当抄が別名「転重軽受の事」と言われる所以です。まさに「過去の罪障で重く受けるところを、御本尊様を信じることで軽く受けている」のが私たちであることがわかります。

 この『摩訶止観』の意味を述べますと、「あなたは過去世に謗法がありました。本来であれば無間地獄の中にあって限りない苦しみを受けなくてはならないところです。しかし、今あなたは正しい御本尊様に向かって手を合わせ、周囲の人たちのことを思って折伏の修行に励んでおります。そのようなあなたですから、なお強盛に修行に励み、過去の重い罪障を今世で消滅することが出来るように、と病の姿で罪障が現れているのです」と言うことです。つまり、業自体が善知識になり、私たちに信心を教えているのです。したがいまして、病気だからといってガッカリすることはありません。ガッカリしなければいけないのは、病気になってしまった、と御本尊様を疑い、勤行・唱題を後回しにして折伏をしない自身の心に対してすべきです。

 『可延定業御書』には、

日蓮悲母をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。今女人の御身として病を身にうけさせ給ふ。心みに法華経の信心を立てゝ御らむあるべし。(御書・七六〇頁)

とあります。この御文は、大聖人様がお母様の病気平癒を祈られたところ、良くなられたばかりか四年も寿命が延びたことをご自身の体験から仰せ下さるものです。大聖人様だからできたのではなく、私たちも大聖人様の弟子檀那ですから、大聖人様のお言葉を信じて御題目を唱えるならば、同じ功徳があります。大聖人様の言葉を信じることが肝要です。

 『妙心尼御前御返事』には、

このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候か 。(御書・九〇〇頁 )                

とございます。先の『摩訶止観』と全く同じ意味です。わかりやすく教えて下さっております。病をマイナスにとらえるのではなく、ネガティブに考えるのではなく、成仏の種である、悪いことを善いことに変えるチャンスである、とプラス思考、ポジティブにとらえるのが私たち日蓮大聖人様の信仰です。

 現在、病を得ている方、御本尊様の御加護を信じましょう。元気な方、生きている限り、いずれ病を得ます。そのときの心構えとして、御書を、大聖人様のお言葉を心に入れておきましょう。

 今月は御書に示される病の原因について学びました。生きている証拠が病であり、病のない人などどこにもおりません。死なない人がいないのと同じです。ゆえに、大聖人様は病の原因を示し、病を得たときの心構えが大切である、と教えて下さるのです。病を得たときには、闘病平癒の御祈念をいたします。恥ずかしいことではありません。申し出て下さい。以上

以上


文責編集部 転載複写等禁止

日蓮正宗向陽山佛乗寺

ページのトップへ戻る