佛乗寺仏教セミナー
〜平和な国土を築く根本は『日蓮大聖人様の教え』にある〜

仏教セミナー/平成二十七年七月十九日 日蓮正宗佛乗寺

■『立正安国論』、『如説修行抄』、『種々御振舞御書』、『乙御前御消息』
■『十七条の憲法』、『日本書紀』
■『戦争に関する名言』
■『お盆を敗戦の日として選んだのは』

立正安国論

@ 『立正安国論』
(原文)
旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。(御書・二三四頁)

(現代語訳)
旅人が訪ねてきて嘆いていうには、ここ数年の異常気象や地震などの災害で、穀物が稔らず飢えに苦しむ人や、悪性伝染病が国中に広がっています。牛や馬がいたるところで死に、骸骨は路上に散乱しております。

A 『立正安国論』
(原文)
夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん。(御書・二四八頁)

(現代語訳)
そもそも、釈尊〔能仁)が過去世のことを明かされた経文には、謗法の者の命を絶つことが説かれております。しかし、インドにおいて釈尊が出世された後の経文では、謗法への布施を止めることが説かれております。そこで、世界中の全ての人々は、謗法の者に布施を止め、全ての人がこの正法に帰依すれば、どのような難も並びおこることもなく、どのような災いも競い来ることはありません。

B 『立正安国論』
(原文)
汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。 (御書・二四九頁)

(現代語訳)
あなた自身の幸せを思うのであれば、先ず最初に、あなたの周囲が静かで穏やかになることを祈るべきです。

C 『立正安国論』
(原文)
弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。(御書・二五〇頁)

(現代語訳)
これからは、貴男の慈愛のこもった訓戒を仰い、私の愚かな心を改め、速やかに誤った教えの人々に対して法華経の治療を施すことによって、平和で穏やかな世の中にします。先ず現世を平安にして、その功徳で来世も幸せになるようにいたしましょう。ただ私一人が信じるのだけではなく、周囲の人たちの誤りを誡めることに励んでまいります。

如説修行抄

D 『如説修行抄』
(原文)
法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのうの世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。(御書・六七一頁)

(現代語訳)
法華経において仏は、誤った教えや思想に支配される心を折き、正しい教えに信伏せしめることを説かれています。その教えのままに実践し、誤った教えやそれに従う人々を法華経の信仰に導き、全ての人々が大御本尊を信じて声を揃えて南無妙法蓮華経と唱えるならば、枝を折るような強が吹くこともなく、地面に穴をあけるような強い雨が降ることもなくなります。私たちの住む国土は、古代中国に出現した、伏義や神農が帝王として世を治めた時と同じように、争いや自然災害のない平和で穏やかなものになります。また、今生では天変地夭や病などで命を落とすこともなく長寿を得ることが叶います。三世の生命を説き明かした法華経を信じ、一切の人々が過去世・現世・未来世の生命を知ったとき、この世の中が平和で安穏になり、来世は善きところに生まれ変わることが出来る、と法華経の薬草喩品第五のなかで仏が述べられておりますことを疑ってはなりません。

種々御振舞御書

E 『種々御振舞御書』
(原文)
国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれ(御書・一〇六六頁)

(現代語訳)
日本国が侵略されることのないように、と日蓮が祈っているからこれまでは安穏でだったのです。

乙御前御消息

F 『乙御前御消息』
(原文)
いかなる事も出来候はゞ是へ御わたりあるべし、見奉らん。山中にて共にうえ死にし候はん。(御書・八九四頁)

(現代語訳)
蒙古国が来襲し鎌倉が戦場になるようなことになれば、日蓮の所においでなさい。この山の中で共に飢え死にいたしましょう。

十七条の憲法 (日本古典文学全集三・五四三)

G 『十七条の憲法』
(原文)
一に曰く、和を以ちて貴しとなし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党有り、亦達(さと)る者少なし。是を以ちて、或は君父に順(したが)はず、乍いは隣里(りんり)に違(たが)ふ。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずからに通ふ。何事か成らざらむと。

(現代語訳)
一には、互いに仲良くすることをなによりも大切にし、仲違いをしないことを根本とすべきです。人は群れるもので、賢者は少ないのです。ですから、君主や父親のいうことにしたがわず、近隣とも仲違いをします。しかし上の人も下の人も助け合い、睦み合う心で種々の事を話し合うならば、おのずからものごとの道理にかない、どのような事も成就します。

H 『十七条の憲法』
(原文)
二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり、則ち四生(ししょう※)の終帰、万国の極宗(きょくそう)なり。何の世、何の人かこの法を貴びずあらむ。人尤(はなは)だ悪しきもの鮮(すくな)し、能く教うるを以ちて従ふ。それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何を以ちてか枉(まが)れるを直(ただ)さむと。 

※【四生】仏教用語。生き物を生れ方により4種に分類したもの。 (1) 胎生 (母胎中で体を形成して生れた生き物) ,(2) 卵生 (卵の形で生れた生き物) ,(3) 湿生 (湿気のある場所から生れた生き物) ,(4) 化生 (過去からの業の力によって生れた生き物で,天人などをいう) の4種。

(現代語訳)
二には、篤くあつく三種の宝を敬いなさい。三種の宝とは、仏と仏の教えと教えを伝える僧宝のことです。なぜならば、全ての衆生が最後の依りどころであり、すべての国の究極の教えだからです。どのような世でも、いかなる人でも、この教えを貴ばないことはありません。極悪の人は少なく、よく教えることで善人になります。そのためには三宝に帰依することです。三宝に帰依する以外に曲がった心を真っ直ぐにすることはできません。

I 『十七条の憲法』
(原文)
十に曰く、忿(ふん)を絶ち瞋(しん)を棄(す)てて、人の違(たが)ふことを怒らざれ。人みな心あり、心各々執有り。彼を是ならば我は非なり。我是なれば彼は非なり。我必ず聖に非ず。彼必ず愚に非ず。共にこれ凡夫ならくのみ。是非の理(ことわり)たれか能く定むべけむ。相共に賢愚なること鐶(くわん)の端(はし)なきが如し。是を以ちて、彼人(そのひと)瞋(いか)ると雖(いえど)も、還りて我が失(しつ)を恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従ひて同じく挙(おこな)えと。

(現代語訳)
十には、心に恨みを懐かず、顔に憤りを表さず、人が自分と違うといって怒ってはなりません。人にはそれぞれに心があり、その心に執着をもっております。彼が良いと思っても私が良いと思わなかったり、反対に私が良いと思っても彼が良いと思わないようなものです。私が聖者で彼が愚者だということもありません。私も彼も共に誤り多き凡夫なのです。良いとか悪いとかを誰が定めるのでしょうか。互いに賢者であり愚者であることは、金輪に端がないようなもので区別はつきません。ですから、相手が怒っているならば、むしろ自分に過ちがあるのではないかと自省をしなさい。自分だけが得たと思ったことも、皆の意見に従って行動しなさい。

J 『十七条の憲法』
(原文)
十七に曰く、それ事は独断すべからず。必ず衆と論(あげつら)ふべし。少事はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆とすべからず。ただし大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(しつ)あらんことを疑ふ。故に、衆とに相弁ふるときは、辞(じ)則ち理(り)を得む。

(現代語訳)
十七には、ものごとは独断で決めてはなりません。必ず皆で論議をすべきです。ささいな事はそのかぎりではありません。ただ重大な事柄を論議するときは、過失があるかも知れませんから、皆で検討することで、道理にかなう結論を得ることができるのです。

日本書紀

K 『日本書紀』
(原文)
山背大兄王(やましろのおおえのみこ)、三輪文屋君(みわのふんやのきみ)をして軍將等(いくさのきみら)に謂いて曰く、「吾、兵を起こして入鹿を伐たば、其の勝たんこと定(うつな)し。 然るに一身(ひとつみ)の故に由りて、百姓(おほみたから)を傷殘(やぶりそこな)はむことを欲(ほり)せじ。是を以て吾が一身を入鹿に賜はわむ」とのたまひ。終に子弟・妃妾(むがわ・みめ)と一時(もろともに)に自ら経(わな)きて倶(とも)に死(みう)せましぬ。(日本古典文学全集四・八二)

(現代語訳)
山背大兄王は三輪文屋君に命じて軍將たちに、「私が兵を起こして入鹿を討伐すれば勝つことは必定です。しかしながら私一身のために人々を殺したり傷つけたりしたくはありません。従って私の一身を入鹿に与えよう」と語らせました。そしてついに一族そろって首に縄をかけ、自害をされました。

戦争に関する名言/インターネット名言集・他

○戦争は決して地震や津波のような天変地異ではない。何の音沙汰もなく突然やってくるものではない。(石川啄木)

○良い戦争、悪い平和などがあったためしがない。(フランクリン)

○戦争を道具として目論む政治家たちは、自分の無能を自認し、党派の闘争の計算者として戦争を利用する政党政治家たちは罪人である。(ウィリアム・サムナー 「随筆集」)

○智によりて勝つが第一、威によりて勝つが第二、武器を用いるが第三、城を攻めるが最下等の策なり。(孫子 「謀反篇」)

○暴力にかかわることにはまったく参加せず、あらゆる迫害に苦しむことを覚悟すれば、戦争はなくなるであろう。それが戦争をなくす唯一の方法である。(フランス 「散歩場の楡の樹」)

○一人を殺す、これを不義という。必ず一死罪あらん。…十人を殺さば不義を十重す、必ず十死罪あらん。百人を殺さば不義を百重す、必ず百死罪あらん。…天下の君主はみな知って、これを非とし、これを不義という。今大いに不義をなして国を攻むに至りては、これを非とせず、従ってこれを誉め、これを義という。(「墨子」)

○勝利は怨を生ず、敗者は苦しんで臥す。勝利を離れて寂静なる人は楽しく臥す。(「法句経」)

『お盆を敗戦の日として選んだのは』

戦争ほど悲惨なものはありません。悲惨さを体験したゆえに、再び戦争をしない国を創るために、あえて無条件降伏の日をお盆である八月十五日に選んだのだと私は先人の苦心を思ます。偶然ではなく愚かしい凡夫に対する仏様のおはからいかもしれません。ゆえに、死者を悼むお盆と、敗戦の日が重なっていることに思いをいたすべきです。そして、亡き人たちのことを想う日でなくてはなりません。形式だけではなく心の奥底から。

日蓮大聖人様は、武器を携えての平和はない、と『立正安国論』に述べられます。述べられるだけではなく、その実現のために、「日蓮魁したり」と仰せになり具体的な行動をもって私たちを導いて下さっております。

Eの「国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれ」(種々御振舞御書・一〇六六頁)
との御金言は、平和な国土を築く根本は日蓮大聖人様の教えにある、との意です。


以上