立宗七百五十二年の
新春を寿ぎ奉る


〜大白法 新年特集号より〜

御法主日顕上人猊下 新年の辞
 立宗第七百五十二年元旦、明けましておめでとうございます。

 全国の日蓮正宗法華講員の皆様には、一昨年の宗旨建立七百五十年の大事業完遂に一結して精進され、また昨年は新たな目標としての「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に向かって堂々たる大法弘通の出発を致された処の大仏法信受の境界より、悠々堂々、歓喜に湧く豊かな心を以て、この新年を迎えられたことと存じます。

 いうまでもなく、正月とは新しい年を迎えることで、時運の大きな節目であります。特に有意義な大目的のある人生を送る方々にとって、正月は実に深い意義と希望に満ち溢れる時であります。皆様、妙法の功徳を期し心より此の新年を祝おうではありませんか。

 しかるに一度目を転ずれば、世界各国もまた我が日本社会も、六道輪廻の中に存在する種々の宗教の対立と、それに基づく憎悪と怨念による果てしない闘争と破壊の環境の中で、種々の恐怖と混乱に右往左往する状態であります。

 これを宇宙法界に於ける因縁果報の絶対なる正理が籠められている妙法蓮華経の大法より照らすとき、この世界がその対立と抗争から脱却できない理由は、法界の実相たる六道四聖のあり方に無知であるあらゆる指導者層の念慮の狭小によるものであり、根本的には衆生の謗法罪障の悪業によるのであります。

 法界の中には、一切万物を妙化し包容する絶対の「善」の生命があると共に、これに対抗して多くの者を貪りと瞋りと愚かな生命観による迷いの中に閉じ込めようとする「悪」の生命があります。これは三界中、欲界の最高天である他化自在天、即ち第六天の魔王の支配によるものです。

 この欲界の衆生の特性は、元品の無明に覆われた「我」の一言に尽きます。この「我」に於ける六道一切の衆生が、相互にその立場を主張し闘わせるのです。従ってこの「我」の解決なくして世界に於ける対立闘争を止めることはできません。

 しかし、この「我」は、天下万物より私共一人ひとりまで、すべての個性が具え且つ執着する処です。この「我」の解決は、六道のみならず「四聖」即ち声聞・縁覚・菩薩・仏界の因縁果報を知り、それに対する正しい修行によって不思議の徳を顕すことにあります。即ち九界の迷いに仏界が具わり、仏界の悟りに九界が一体となる妙法の大真理に入ってこそ、始めてあらゆる善悪の因縁果報の浄化、即ち救済が実現します。これを悟り、その完全な法理の意義を込めた大良薬を、末法という「我」の荒れ狂う時代のために示し開かれた方が仏であり、日蓮大聖人であります。

 その良薬たる妙法蓮華経の実体は「本門の本尊」であり、その本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるのが「本門の題目」であります。真剣に唱題を重ねるとき、謗法と個我に執われることによって起こってきた様々な苦悩が、その運びに任せ、三世の生命の上に正しく解決していきます。

 「個我」によるあらゆる対立や悪念、悪業の解決、これは一個人より全人類の種々の問題に至るまで、共通する命題であります。かと言って声聞や縁覚のように「我を無にする」修行は、末法の衆生には絶対にできません。我利我利の自我を捨てずして、しかも不思議な自利利他の徳を積み表す道、それは妙法不思議の謗法罪障消滅の功徳を以て行う外はありません。

 いわゆる広宣流布への道であり、広布への前進です。個人としては妙法唱題に徹する処、先ず腹がすわります。命の奥に不思議な力が漲ってきます。折伏やなすべき事に対しては勇気を以て奮い立ち、またある事には気を長く豊かとなり、ある時には心がしっかり落ち着き、またある時は身の程を知り自己を顧みる。その他無量の心の徳をもって対処する自由自在な境地は皆、妙法唱題によって到達する妙徳です。大聖人様は『経王殿御返事』に、
「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『充満其願、如清涼池』『現世安穏、後生善処』疑ひなからん」(御書六八五ページ)
と仰せです。自己を救い他を救う功徳の道、妙法の実践に本年もしっかりと取り組み、来たる「立正安国論正義顕揚」の大なる目標の完遂目指して前進して参りましょう。

 皆様のいよいよのご健勝とご精進をお祈り申し上げ、新年の辞といたします。


                           (大白法/平成16年1月1日号より)



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