立宗七百五十三年の
新春を寿ぎ奉る


〜大白法 新年特集号より〜

御法主日顕上人猊下 新年の辞
 宗旨建立七百五十三年の新春おめでとうございます。

 全国の法華講員皆様には、大仏法信心修行の功徳を以て、元気溌剌たる心豊かな正月をお迎えのことと存じます。

 宗祖大聖人様は新年について、清澄寺大衆中へ宛てられた御書に、
「新春の慶賀自他幸甚幸甚」(御書九四五ページ)
とお慶び遊ばされておられます。本仏の御境地は、法界無辺の時空の中に、広大にして本有常住であらせられますが、また衆生に応同して導き給う上から、その時々に於ける具体的な意義について、或いは喜び、或いは愍み、また悲しみつつ正道を示されます。悦ぶべき時は素直に悦び、愍み悲しむべき時は素直に愍み愁えつつ、その身口意三業の振る舞いが人々を救い種々の利益を与えることこそ、正直を旨とする法華経の行者の妙徳です。

 さて、大聖人様の正月について御悦びの御境地の一分を拝し奉るに、一切について「初め」を尊ぶべく、悦ぶべしという処にあるかと存じます。

 何事も初めこそ肝心であります。諺にも「初心忘るべからず」と申しますが、この初心を亡失する処に多くの人が人生の意義を見失い、迷いの道を辿る姿を見受けるのであります。「今年こそ意義ある年を」と新年に当たって殆どの人が思うけれども、いつの間にかその心を忘れて、怠惰と無気力に流される人もいるようです。また一往、世間的な初心の意義を貫いて、充実した自己満足の生活を楽しむ人も多いことでしょう。しかし世法のあり方は、所詮有為転変を免れません。この「初め」ということの根源の意義は、仏法にこそ存するのであります。

 その理由として、あらゆる人、あらゆる生命に共通するものが「生・老・病・死」の四苦です。その始めは生であり、終わりは死ですが、その死は次の生の初めを呼びます。このような過去・現在・未来の三世の生死の因縁による実相と、その意義を正しく極め説くのが仏法であります。

 仏教中にも小乗・大乗、権経・実経、迹門・本門と、浅きより深きに至る多くの教えがありますが、その一番の初めこそ一切の経々の根本であり、茲に存するのが宇宙法界全体の因縁果報の法理を倶に具える久遠元初の仏法、妙法蓮華経であります。そしてこれを悟り極められた方こそ久遠元初の本仏、即ち末法出現の日蓮大聖人様であります。

 従って、此の仏法を信じ修行する処に、法界一切の存在中正しい軌道に乗ずる故に、いわゆる「初め」の意義が徹底し、最高のものとなります。法華講の皆様が本門の本尊を信じ、本門の題目を唱えて迎えるこの新年の初めこそ、天地法界の運行に合致する尊い意義が存するのであります。

 また初めとは一であり、一は二三四五乃至十百千万無量の数の最初であると共に、そのすべてを含み具えます。これと同じく仏法に於て妙法蓮華経は一仏乗の教えであります。その信心こそ最高の一行でありますから、法界の衆生の中に於て自行化他の大功徳を生ずるのであります。

 大聖人様は『千日尼御返事』に、
「九界・六道の一切衆生各々心々かわれり。(乃至)善をこのみ、悪をこのみ、しなじななり。かくのごとくいろいろに候へども、法華経に入りぬれば唯一人の身、一人の心なり」(同一四七五ページ)
と仰せられました。正法の信心は、すべての人が内証成仏をする故に、その心境に於て一致団結の徳が表れるのであり、また、かく信じて妙法を唱えるべきであります。

 本年の「僧俗前進の年」の肝要は、僧俗また信徒各位が、一致すなわち大聖人の仰せの「一人の身、一人の心」となることであります。強い信心と自行化他唱題折伏を以て、堂々と前進いたしましょう。そこに正法広布による大功徳と法界浄化の大光明が存します。皆様の御健祥と御精進を心より祈り、新年の辞と致します。

(大白法/平成17年1月1日号より)



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