立宗七百五十四年の
新春を寿ぎ奉る


〜大白法 新年特集号より〜

御法主日如上人猊下 新年の辞
 全国法華講員御一同には、立宗七百五十四年の新春を迎え、慶賀の至りに存じます。

 野衲、曩に日顕上人より血脈相承を受け、総本山第六十八世の法燈を継ぎ、本宗管長の職に就きました。

 素より徳薄垢重の身にしてその器ではありませんが、血脈法燈をお受けした上は、その責務の重大なることを自覚し、捨身弘法の覚悟をもって広布の願業に精進していく決意であります。

 幸いにして、今宗門は日顕上人の大英断によって、血脈正統に基づく清浄なる宗風を厳護し、広布へ向けて凛として前進していることは、まことに悦びに堪えないところであります。

 さて、大聖人は『撰時抄』に、
「法華経の第七に云はく『我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん』等云云。経文は大集経の白法隠没の次の時をとかせ給ふに、広宣流布と云云」(御書八三七ページ)
と仰せられ、同じく『撰時抄』に、
「法華経の流布の時二度あるべし。所謂在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり」(同八三八ページ)
と仰せられて、末法を指して広宣流布の時と定められています。すなわち、末法において広宣流布は必ず達成すると仰せあそばされています。

 しかし、広宣流布は私共の弛まざる努力なくしては達成できないこともまた必定であります。私共一人ひとりの信心に約して言えば、強盛にして揺るぎない堅固な信心と不断の精進が基となり、その上に築かれるものであることを銘記しなければなりません。

 大聖人は『聖人御難事』に、
「各々師子王の心を取り出だして、いかに人をどすともをづる事なかれ。師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干のほうるなり、日蓮が一門は師子の吼ゆるなり」(同一三九七ページ)
と仰せであります。師子王の心とは、破邪顕正の堅固なる心をもって、いかなる障魔も恐れず、敢然としてこれを退け、微動だにしない不動の信念と、広布へ向かって前進していく勇猛果敢なる信心であります。

 それは単に、精神的、表面的なものではなく、内実した心そのものであり、強靭にして不屈の精神を基とした、広布への実践活動を伴うものでなければなりません。

 而して、その不動の信念は大御本尊に対する絶対の信、「無疑曰信」から生ずるものであります。

 大聖人は『経王殿御返事』に、
「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『充満其願、如清涼池』『現世安穏、後生善処』疑ひなからん」(同六八五ページ)
と仰せであります。

 この御金言を拝し、大御本尊に対する絶対の確信のもとに、一切衆生救済の誓願に立ち、遠くは一天四海本因妙広宣流布達成のため、近くは来たる平成二十一年の大佳節へ向けて大同団結し、全力を傾注していくことこそ、今、最も肝要であります。

 しかし、ただ漠然として遠くを見つめているだけでは所願達成は不可能であります。足許を見つめ、今なすべきことを一歩一歩確実に進めていかなければなりません。

 そのためには、各講中が本年「決起の年」を必ず勝利することであります。本年を勝利するためには、先ず講中の一人ひとりが行動を起こすことであります。すなわち決起とは、要は決意して行動を起こすことであるからであります。

 この志を忘れることなく、すべての講中が一致団結して決起し、もって日顕上人から御下命戴いた御命題を見事に果たし、平成二十一年の大佳節を歓喜のもとにお迎え申し上げ、御報恩の誠を尽くしたいと存じます。

 御金言に、
「法自づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊し」(同一六八七ページ)
と仰せであります。

 この御金言を胸に、なお一層の精進を祈り、新年の辞と致します。

(大白法/平成18年1月1日号より)



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