平成14年11月号
御住職ご指導

「魔」
兄弟抄

建治二年四月 五五歳
(新編御書 九八六頁)

此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏るべからず。之に随へば将に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。

 宗旨建立七五〇年を記念して、四月より執り行われてきた法華講三十万総登山も残すところ海外信徒総登山のみとなりました(注)。ご案内の如く目標を大きく上回る人々が罪障消滅の信心に励むことが出来ました。仏乗寺でも、野島講頭を中心に登山部やサポーターの面々が「御信心」の一点でご奉公に励まれ目標とした以上の方々を大聖人様の御前にお導きをすることが出来ました。皆さまのご精進に対し大聖人様からお誉めのお言葉があることと思います。住職といたしましても有り難く存じます。ご苦労様でした。

 また、皆さまの真心の御供養で建立された奉安堂も計画通りに完成し、落成記念法要が十日間にわたって盛大且つ厳粛に奉修されましたことも、意義深き年に富士大石寺の信仰を持っていた私どもの生命に深く刻まれたことと確信をいたします。未来永劫に崩れることのない功徳を得ることが出来ました。

 この大事業も、全ては広宣流布達成のためであり、私たち富士大石寺の目的は広宣流布世界平和です。目的達成の礎を築く実践がこの八年間でした。

 皆さまの御信心により礎はなりました。次なる目標は、七年後に迎える、立正安国論上呈七百五十年の佳節です。

 日顕上人猊下は、「さらに広宣流布の伸展」に精進することを私どもに御指南下さいました。「世界平和」の実現を見据えられての貴いお言葉であると拝します。さらに、「三十万総登山と奉安堂建立を達成したことで、油断してはなりませんぞ、私たちは一生成仏の信仰なのです」との御意が込められていると拝します。

 今後、正法広布が進むところには必ずその用きを妨げようとする一群が起こってまいります。広布の妨げを仏法では「魔」と言います。冒頭の兄弟抄の御文も、この事を教えて下さるものです。

 御法主日顕上人は、
「正法であればあるほど常に魔が競うのであります。(乃至)その魔にも外から来る魔と内から来る魔とがあるのであります。そのうちの外の魔は防ぎやすいのでありまして、特に仏法においては『如来の正法は、外道は全くこれを破ることができない』ということが涅槃経に説かれてあります。けれども、仏弟子のなかから魔が顕れて如来の聖教を破ると説かれておるのです。これは『師子身中の虫』といいまして、師子が死んでも他の動物は恐れて師子の肉は食べませんけれども、むしろ師子の身のなかから虫が生じてその師子の肉を食べるという譬えをそこに述べられておるのであります」
と御指南になられます。同じ「魔」であっても、中から出る魔が仏法を破る元となると言うことです。現在の創価学会も元は日蓮正宗の信徒であったということを思う時、このお言葉が真実となって浮かび上がってまいります。

 そこで、大聖人様は「聖人御難事」の中で

月々日々につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし

と仰せになります。つよりとは、強くと言う意味ですから、月々日々に強い信仰をなさい、少しでも信心をゆるめると魔が付け入ります、と言うお言葉で、日々の精進が大切であることを強調されます。この御指南のように、三十万総登山の成功に驕ることなく心を定めることが大切になるのです。

 ともあれ、新たに目標を掲げ前進を始めるところには必ず「魔」が起こってまいります。また、「魔」が起こってはじめて正法である証明と捉えるのが大聖人様の信心です。したがって、「魔」が起こることを嘆き悲しむ必要はありません。むしろ、反対に「魔」を「魔」と見破ることにより、善知識となし積極的な境界を開くことができる私たちの信心です。

 仏乗寺の皆さま、一生成仏を目指す信仰が富士大石寺の信仰です。一時の「火のような信心」は長続きしません。火の信仰が池田教徒です。私たちは南条時光殿の「水の信心」を手本として進もうではありませんか。いまは小川ですが、必ず大河になる時が来ます。大河を目指し共々に精進を重ねてまいりましょう。

(注)今回の「御住職ご指導」は、海外信徒総登山が行われる以前に頂いた御指導です。(海外信徒総登山は、WeeklyKouYou等でご紹介させて頂いている通り、既に世界各国より多数の方々が大歓喜の御登山をされており、御法主上人猊下の大導師のもと宗旨建立750年慶祝記念海外信徒総登山大法要が12月1日(終会)まで奉修されております。)
『御会式』の意義を学ぶ
 御会式(おえしき)とは宗祖日蓮大聖人が弘安五年(一二八二年)十月十三日に御入滅され、滅不滅・三世常住の御姿を示されたことをお祝いする儀式で、春の御虫払法要とともに本宗の二大法要の一つです。

 お会式といえば一般には大聖人の御命日の法要のことと考えていますが、大聖人を末法有縁の下種の御本仏と仰ぐ本宗においてはその御入滅は非滅の滅であり、真実には常住此説法の大導師におわしまし、末法万年の闇を照らし濁悪の衆生を救済し給うと拝するのです。よって御会式は大聖人の永遠不滅の御本仏としての御境界を拝するお喜びの儀式なのです。

 会式という語はもともと宮中で行なわれた諸法要のことで、その名称をとって各宗内の法要にあてたものといわれます。その中でも十月十三日はことに重要な法要なので大会と名付け総本山では御大会と古来から称しています。
 
 大聖人は今を去る七百余年の昔、弘安五年十月十三日、武州(東京)池上の右衛門大夫宗仲の館において大勢の弟子や信徒が読経唱題申し上げる中で安祥として御入滅あそばされました。日興上人の御遷化記録等によると、御入滅は辰の時とあるので今の午前八時頃になりますが、その時は大地が震動し庭の桜に時ならぬ花が咲いたと記されてあります。まことに末法の御本仏の御入滅を、宇宙法界の生命が挙げてこれを惜むと同時に、滅不滅の仏法をお祝い申し上げたさまを彷彿として偲ぶことができます。

 さて、御会式について、とくにいくつかのことが考えられますが、まず第一に久遠常住の仏の非滅現滅非生現生の不可思議の御生命を拝さなくてはなりません。大聖人が御本仏であらせられるということは、そのまま法界の大生命体たる南無妙法蓮華経であるということでもあります。そしてまた、この世に身を受けたことは一個の個に過ぎないということです。この一個の個に過ぎない示同凡夫のお姿も入滅するということに依って法界の大生命体に帰一することになります。御義口伝に「無常常住・倶時相即」(新編御書一七四五ページ)とあるように、大聖人のご入滅は一往は無常のようには見えますが、大地震動し季節はずれの桜が開花したことは事実の上において、現有滅不滅であり、無常常住倶時相即がまことの諸法実相であることを示すものです。また、御義口伝に「妙法と唱うれば無明法性体一なり」(新編御書一七四八ページ)、「妙を以ての故に即なり」(新編御書一七二五ページ)とあります。この凡夫即仏・依正不二・色心不二・生死不二の相即こそは仏法の教えの根本であり、いろいろの教えは結局この不二相即に帰すのが本意です。これを如実に示されたのが御入滅なのです。

 第二に、仏様は三世にわたって三身が常住すると説かれますが、そのお姿やお住いはどうか、ということが問題です。寿量品の長行に「必ず当に難遭の想を生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰して、便ち善根を種ゆべし。是の故に如来、実に滅せずと雖も、而も滅度すと言う」とあり、さらに重ねて自我偈には「衆生を度せんが為の故に方便して涅槃を現ず、而も実には滅度せず、常に此に住して法を説く」とあります。仏様は三世に常住されるのですが、常に住していると、衆生はいつでも仏様にお会いできると安心し、つい仏道修行を怠ります。そこで、衆生教化のために一つの方便として寂滅の相をあらわし、衆生に仏様にはながくあいがたいとの想をいだかせ、仏道修行をすすめられるのです。

 では寂滅の相を示された後は仏様の生命はどこにおわすのでしょうか。「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」(新編御書六八五ページ)との御金言によって、それは十界互具の大曼荼羅の中にあらせられ、なかんずく大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊として住されているのです。また、この御本尊の法体は、日興上人・日目上人・日道上人と御歴代上人に相承され、御当代上人の御一身に具し給うところです。このように滅不滅である御本仏の出現をお祝いするのが御会式の儀式です。

 第三には大聖人御入滅後の弟子や信徒の在り方が、正しい信心修行を決定する上に非常に重要となります。本弟子(重要な弟子)六人といわれるなかで大聖人滅後、弟子の道をまっとうし、正しく法統を継承したのはご在世中常におそばでお給仕申しあげた二祖日興上人お一人です。厳しい師弟相対の上に大聖人の深い仏法を余すところなく体得し、大聖人の正義を敢然として立て通されました。したがって日興上人の門家のみが正しい信条と法義に基いた御会式の行事を七百有余年来行なってきたのです。

 その証拠の一つをあげると、大聖人の御化導の目的は正法治国にあり、この旨を述べられたのが立正安国論です。日興上人・日目上人をはじめ代々の法主上人もたびたび国諌をされました。このゆえに本宗の御会式では安国論並びに申し状の奉読を行ない大聖人の御精神を現代に示し、広宣流布を御宝前に祈誓申し上げるのです。

 次に御会式の行事について述べてみましょう。この御会式は総本山をはじめ全国の末寺でも執り行われます。ともにこの日は桜の花を作って仏前を荘厳します。

 末寺の御会式も献前・読経・唱題につづいて組寺住職によって立正安国論並びに代々上人の国諌の申状が奉読されます。これは大聖人の折伏の仏法を示す儀式であり、この信心を御宝前に表す事によって、忍難弘通をちかい、必ず本因妙の広宣流布が成就されることを示すのです。三大秘法の仏法によってこそ一切衆生の成仏も始めて可能となるからであります。

 法要の後、説法があり、最後に御宝前を荘厳したお花をくずす行事で御会式は終了となります。又大聖人の御命日は十月十三日なので全国の末寺において、毎月十三日前後に御講を行なっています。それは末法の御本仏に御報恩謝徳し、常に立正安国の御精神を忘れず、僧俗一致して大法弘通に邁進するためです。

(『日蓮正宗の行事』より)
竜の口法難をお偲びして

「向陽」編集後記
 十一月三日、大聖人様竜ノ口法難をお偲び申し上げ、『鎌倉ウォークラリー』がついに決行された。約一月半の間、御住職の御指導を仰ぎつつ青年部が中心となって準備を整えてきた。十月二十七日の研究発表会を経て、向かえた当日は、壮年部、婦人部からも多くの方々が集った。後日号外が発行されるので期待していただきたい。
 竜ノ口へ向かう海岸線、目も開けられないほどの、砂交じりの向かい風の中を、御住職に励まされ、共に励まし合い進んだ。
 一瞬、これから僕達が歩んでゆく道はこんな風であろうかと、込み上げるものを感じた。

 ・・・続きは号外にて。

(文責編集部)