平成14年12月号
御住職ご指導

六根清浄の信心
御義口伝
(新編御書 一七七五頁)

「御義口伝に云はく、眼の功徳とは、法華不信の者は無間に堕在し、信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり。法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり。眼とは法華経なり。此の大乗経典は諸仏の眼目と云へり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は眼の功徳を得るなり云云。耳鼻舌身意又々此くの如きなり云云」

 法華経法師功徳品に説かれる五種法師の功徳についての御指南です。五種の修行とは、受持・読・誦・解説・書写の五つです。

 ここで日蓮大聖人は、六根清浄の功徳を示されるにあたって眼根の清浄を一例として挙げ御教示になります。
 
 つまり、末法今日の私達は、本門戒壇の大御本尊様を信じ南無妙法蓮華経と唱える時に、法華経の会座に列なった大菩薩方が行じた修行と同じ修行に励み、同じ功徳を頂戴している事にほかなりません。

 このゆえに、私達の修行が貴く、又功徳が偉大であると申し上げる事が出来るのです。具体的な功徳の一例として、六根が清浄になると示されるのです。六根とは眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根です。この中で眼根から身根までは肉体的方面、意根は精神的な面の事ですから、六根が清浄になるという事は、身も心も清浄になることなのです。

 御本尊を受持し、お題目を唱え折伏を行じて得られる清浄な肉体・清浄な精神とはどのようなものでしようか。

 眼根は目の事です。目を通して入って来る情報を赤や青と判別し、又美しいとか、汚れていると判断するのですが、汚れた眼根や意根であれば、最初からフィルターをかけて見る事になります。せっかく美しいものを見たとしても不浄なものに見えてしまうのは残念な事です。ところが末法の衆生は、過去世の因縁により、五濁悪世に生を受けております。全ての人々がフィルターをかけた日々を生きていると考える事が出来るのです。ゆえに、争いが絶えず、貪りや怒りの心が次から次に起こって来ます。

 そこに清浄な眼を持つ必要が示されるのです。清浄な六根は、あらゆる物事を正しく判断が出来るようになる。日々の生活の中に於いて、自らの進む道がはっきりするという事です。御本尊を受持し、お題目を唱え、折伏を行ずる事により、具体的な功徳を教えて下さっているのです。

 曲がった眼で、曲がった心での生活から脱出することが可能となる、物事の本質を見通す力が得られ、現実生活において積極的な行動が生まれるという事なのです。日々の生活を信心により変換する事は、当然、経済的にも恵まれた生活を築くことにつながります。

 これは功徳の一端です。一端でもこの様に偉大なのです。

 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道の生活を転換し、身も心も共に仏界を現ずる事が可能となる信心が南無妙法蓮華経です。

 日蓮大聖人は、末法の御本仏として、私達の日々に指針を示され、導いて下さいます。全てを「信心の一点」でとらえていくならば、必ず大きな功徳を得られます。

 本年も残すところわずかとなりましたが、明年へ、更に七年後の立正安国論正義顕揚750年に向かっての一歩をふみだす上からも、節目の年を最後まで気をゆるめる事なく精進してまいりましょう。
本年を振り返って
○最高の登山

 昭和三十六年二月に入信し四十一年になります。その間数多く登山させていただきましたが、特に印象深い登山は三十六年五月入信初の奉安殿での御開扉です。すぐ目の前の大御本尊様に感涙したこと、五十六年九月直属信徒会十五・六名の楽しかった登山会。平成二年七月開創七百年記念登山、四年九月第一回佛乗寺支部総登山、六年七月地涌六万総登山、十年三月客殿新築慶祝十万総登山その他、御虫払大法要、寛師会、御大会等、大御本尊様に御内拝出来る感謝と感激に何度嬉泣きしたかわかりませんでしたが、今年の宗旨建立七百五十年三十万総登山ほど大きな感動と感激をいただいた登山会はありません。
 夫の母に折伏され入信できたことを今更ながら有難く十月八日の竣工式には姑の形見の指輪をして一緒に登山させて頂きました。
 姑もどんなに喜んでくれたことでしよう。これからも登山会には喜んで何回でも参加させて項きます。

廣田さん



○変毒為薬の信心・思いもよらぬ感動の登山

 本年は宗旨建立七百五十年慶祝記念法華講三十万総登山大法要が六十会に亘って奉修されました。
 私も五月二十七目に主人と信心に軟弱な息子とそして折伏した人を一緒に連れて参加をする予定で折伏に頑張って居りましたが、登山日を間近にした五月二十一日の朝突然に気分が悪くなり眩暈と吐き気で苦しみが止まらず救急車で病院に入院する事になりました。病名は「眩暈症」と「狭心症」そして「脳梗塞の疑い」と診断され点滴注射だけの毎日で立って歩く事さえも出来ず既に病院にて二十七日の登山日が来てしまい唯寝たまま一日も早く退院できる事を願い唱題して行く事しかありませんでした。
 しかし五月二十八日の午後突然十三年前に転居先も告げずに別れた友人の樋山さんが病院に見舞い来て下さり本当にびっくり致しました。去る五月十五日バスの中で偶然に出会いたった一言「樋山さん日蓮正宗総本山大石寺に従った信心をしなければ無意味よ」と言って五分程で下車し別れてしまいました。その樋山さんがお見舞いに来て下さるなんて考えもつきません。十三年前に別れたまま何としても何時か逢いたいと願って居ただけに嬉しさはひとしおです。私はベッドの上に寝たまま早速約一時間程法華講の信心の在り方について詳しくお話を致しました。
 その時樋山さんは「長い事色々な事で悩み迷っていたのよ、お寺に入る機会もなかったし佛乗寺だったら私も行ってみようかしら、何時に行ったら良いかしら」と言われ私はまだ退院の予定もはっきりしていないのに「早いほうが良いわね、六月一日は佛乗寺のお経日で先祖の塔婆供養をする日なのよ、その日に行きましょうよ」と決めてしまいました。
 しかし、約束したからには退院出来る事を祈るしかないと新たな決意をしました。其の日の夕方思いもよらず主治医の先生から「家に帰りたいだろう一寸早いけど一時退院して様子を見ましょう。」と言われ大感激でした。
 そして本当に五月二十九日の午後無事に退院出来たのです。私の身体はやっとお粥が食べられる様になった状態で大変疲れて居りました。しかし一緒に六月一日樋山さんを勧誠する事ができ、又その日の内に三十万総登山会に七月七日二人で参加できるよう井上副婦人部長さんが取り計らってくださいました。
 又御住職様が「増田さん、あなたが病気になって五月二十七日に登山出来なかったのは、折伏をして新来者と一緒に登山する使命が有って仏様の御許らいなのだよ。」と私を激励して下さいました。
 私は本山の大事な行事がある度によく病気になりますがその都度『変毒為薬』させていただいて居ります。御書にも説かれております様に『更賜壽命』御本尊様の功徳の賜物と感謝しております。
 お陰様で息子もやっと十四年ぶりに登山する事が出来ました。又、三月より息子達と一緒に住む二世帯住宅の改築工事も事故無く九月に完成し二重の喜びです。これからも益々『御報恩謝徳』への折伏に向かって励んでいく決意です。

増田さん



○一日五時間の唱題で成就した登山・御報恩感謝の信心

 夫が「胸が痛い」と私に言ったのが二月中頃だったと思います。
 病院で診察してもらったところ狭心症と言われて驚きました。早速入院となり夫は心細いのか入院する事を嫌がりましたが生命が大事な事を話しますと、何とか聞き入れてくれました。
 それからは一日五時間位の御題目をあげ夫の回復を祈りました。
 六月二日の登山の時は十歩程歩くと足が痛いと言う夫を連れて登山しやっと御目通りを済ませ無事下山する事が出来ました。
 今後は報恩感謝の気持ちで信心を貫いてまいります。

中西さん



○この一年間を振り返って「信心の素晴らしさを再認識」

 八年前から打ち出された宗旨建立七百五十年記念の三十万総登山がいよいよ始まる年と云う事で、期待と不安の入り混じった緊張感で出発した平成十四年も、残すところ一ケ月となりました。
 佛乗寺支部が正法興隆の為に異体同心で頑張ってきた結果、予想以上の成果を上げる事が出来ました事は、本当に嬉しい限りです。記念総登山、奉安堂建立と云う大きな目標に向かっていよいよ立ち上がるこの一年は魔も競い起こって来るので、決して油断する事無く、一日一日題目を根本にして大事に過ごすようにとの御指導を御講、僧俗協議会等いろいろな会合で受けてきましたので、とにかくこの重大な年を悔いの無い年にしなければと思い、一人でも多くの人を記念総登山に参加させてあげたいとの祈りを込めて毎日唱題に励みました。私にとって四十年間の信心の中で一番真面目に修業に取り組んだ年だったと思います。
 さて、この一年はいろいろな事が起こると言われてきましたが、まさにその通りで我が人生の中にも大きなアクシデントが続きました。一月には母の死、二月に姉の大病大手術、又六月には親友の突然の死です。
 しかし、母がとても良い死に方と素晴らしい成仏の相を私達に見せてくれた事が切っ掛けとなって信心から離れていた姪や妹達共々御本尊様を素直に信じ、水の流れるような信心をして行く事が、何故に大事かと云う事を改めて実感し、何が起きても唱題で乗り切ろうと、励まし合いました。
 お陰様で、姉もすっかり元気になり無事に記念総登山落慶法要登山に参加出来ました。
 今考えてみますと、大変意義のあるこの年を悔いの無い様にと言われ続けてきた事で、家族の結束が強くなれたのだと思います。総地区の責任者としてどれだけ自覚し、行動したか全て御本尊様がお見通しだと思いますが、唱題しながら至らなかった点を反省し、お詫び致します。
 来年もどうぞ宜しくお願いします。

野島さん



○「広市大願」に向かって

 御義口伝に曰く、若し法華誹謗の失を改めて信伏随従する共、浅く有っては無間に堕つべきなり。先の誹謗強きが故に依るなり。百劫無間地獄に堕ちて後に出づる期有って又日蓮に値ふべきなり。復遇日蓮なるべし。(御書一七七九頁)

 この御文を拝して、今年一年の自分を振り返ってみたい。無間地獄と言う言葉はよく耳にするが、日常生活に於いてあらゆる場面にどう自覚すればよいのだろう。
 以前、無間地獄とは休む暇が一瞬も無く、苦しみが延々と続くものだから、休む間が無い地獄のことだ、と言うふうにきいたことがある。
 しかし毎日の生活を何気に振り返ってみると、日本人としてこの様な地獄が何処に有るものかと思うかもしれない。毎日だらだらと過ごしていては解らないものだ。ぬるま湯につかっていた蛙が、徐々に熱くなった湯の中で死んでしまうと言う話があるが、怠惰な生活こそ、実は地獄そのものである。生活そのものには何も不自由しない人であっても、毎日不愉快に暮している人がいる。感情的になって心が捉われていると、これこそ正に無間地獄だ。
 大聖人は、浅く有っては無間に堕つと述べられている。折伏や唱題を行いその時だけ気分が良くても駄目だ。水のような信心こそ大事で、一時の勢いだけで人生はうまく渡れない。頭では分かっていても、どうしても気持ちが納得出来ない時がある。これこそ、仏法で示される、浅い人間の陥る罠であろう。
 十月一日号の大白法にある柳沢委員長の言葉をここで引用してみたい。
 「目には見えないけれど現実には、因果によってどんどんと、けじめはついているし、また、裁かれているのです。その時には何万人が嘆願書を出したとしても、厳しいですね、待ったなしです。その事をよく頭に入れて小さな事にとわれない事です。因果に依って必ず裁かれていくのだと言うことを、みんなに教えていき、どんどん前進することです。」
 私は自分の未熟さ故になかなか前進出来ないまま、今までを生きてきてしまった。十一月御講日に、法大さん、法玉さんが開目抄の御法話をして下さった。舎利弗が六十劫の菩薩の行をしてきたにも関わらず、乞眼の婆羅門の悪口と仕種に堪えられず、修業を止めてしまったと言う話を聞いて思わずはっとした。
 世間にも「小田原評定」なる言葉があるが、沼田という小さな土地の所有者問題から、秀吉と戦うか否かと議論している間に一切の所領を失ったという愚かな人間の浅はかさを教えてくれる。北条氏にしてみても、武士としての意地があったであろう。しかし、意地で一切を無くしては何にもならない。
 私は法礎建立の年の締めくくりを、厳しい仏法の因果の上から、小さな事にとらわれない強い心を築く自覚に変えて、終えたいと思う。

山中さん



○信心即生活

 御住職が常に御指導されている「信心即生活」が少し理解できた年でした。
 折伏、講での役割を日々試行錯誤し、行動して行く事が実生活にそのまま活かされてくるのだと身で感じるようになりました。
 今までの信心から脱皮し新しい形の信心を自分の中で発見することが出来た年でした。
 来年からより発展ある信心を築き実践していきたいと思います。
 また本年三十万総登山完遂に御尽力された皆様ご苦労さまでした。
 そして御住職を始め御指導して下さいました皆様有難うございました。

奥井さん
編集後記
 本年は『法礎建立の年』であり、法華講三十万総登山、そして本門戒壇の大御本尊様を御安置申し上げる奉安堂が完成し正しく法礎建立の年に相応しい年でありました。
 奉安堂落慶の砌に御法主上人猊下が、『三十万達成の本年より更に七年間の折伏と育成により、地涌の友の倍増、乃至それ以上の輩出と大結集を遂げ、以て大仏法の荘厳と正法による国家の安寧の実現を目指す事が肝要と存じます。』と仰せられ、宗内僧俗一同に対して新たな御命題をお示しになられました。
 この御指南を銘記し、今こそ僧俗が総決起し次の目標である『立正安国論正義顕揚七百五十年』に相当する平成二十一年を目指して、来年の『広市大願の年』に相応しく地涌の友の倍増乃至それ以上の結集を遂げるための大前進をしてまいりましよう。(法大)

(文責編集部・禁複写転載)