平成15年10月号
御指導
四条金吾殿御返事(御書一三六二頁)

此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし

 先般ある方にこの御書のお話しを致しましたところ、「みざる、きかざる、いわざる」ですね、と即座に返事が返って参りました。

 ご承知のように「みざる、きかざる、いわざる」は「三猿」などと言われ、「世間の荒波を乗り越えるためのそれなりの智恵と、何事も当たり障りなく、この世の中を渡っていくための処世術」を述べたものです。しかし、世間を渡るにはそれでもよいかも知れませんが、成仏のためにはそのようなことであってはなりません。日蓮大聖人様が、「見ないふりをしなさい、聞かなかったことにしなさい、言わないようにしなさい」などど仰せになるはずはありません。そこで、今日はこの御文から、大聖人様は私たちに何を教えて下さるのかを学んでみたいと思います。

 この御文は弘安二年四月二十三日に四条金吾が頂戴しております。 この四条金吾の性格は『可延定業御書』を拝しますと、「此の人は、人の申せばすこし心へずげに思ふ人なり。なかなか申すはあしかりぬべし」(七六一頁)とありますように、人から何か言われるのを好ましく思わないような性格であったことが分かります。筋が通らないことはしない、正直、剛直、曲がったことは大嫌い、何事も思ったら一直線。いろいろに表現ができますが、堅い性格といえます。 

 皆さまの中にも、何となく自分に似ているみたい、と思った方もおいででしょう。嘘をつかないこと、まっすぐな心、仏になるために欠かせない心です。反面、「まっすぐ」は融通が利かない、前後を考えずに口に出してしまう、直後に「しまった」と思っても遅いことが多々あります。このお手紙はこのような四条金吾に与えられたお手紙であり、そして、彼と似ている性格の末代の法華講衆に与えられたものである、とこのように思い拝することが大事でありましょう。

 大聖人様は、『崇峻天皇御書』(一一七四頁)では、「孔子と申せし賢人は九思一言とて、こゝのたびおもひて一度申す」とおおせになり、さらに、『四条金吾殿御返事』(一一九七頁)に、「孔子は九思一言」と重ねてご教訓を発せられています。「九思一言」、一つのことを言うにしても、九回も考え、思いを巡らす。皆さんの周囲の方で、御信心をしているいないにかかわらず、周りの人達から信頼される徳のある方は、物事をよく考えて、一言一言が慎重であると思います。反対に、どうも信頼ができないと言う人は、秘密が守れなかったり思いつきで物事に対処する人ではないでしょうか。つまり、「九思一言」の実行は、自ら悪循環を断ち切り、周りからの信頼を得る事につながるのです。次の「むつばせ給へ」の「睦ぶ」とは「仲良くする」の意であり、「大人にいのりなしまいらせ候べし」との、大人(だいにん)とは仏菩薩のことであります。

 そうしますと、ここでの大聖人様の御指南は、
「日蓮大聖人の信仰をする富士大石寺の法華講員は、自分の心に添わないような話を聞いたり、見たりしても、そのことについて何かと言いたいことがあったとしても心に納め、決して仲たがいをしてはなりません。ただ御本尊様に祈り御本尊様の御仏意を頂くことが大切です。」と拝する事ができます。

 御本尊様根本などと言いながら、何か人から言われると根本が自分になっている弱い心を戒めて下さる御文です。確かに、身に覚えのないことなどを言われたりすると腹が立つものです。しかし、そのような時こそ、「御本尊様にいのりなしまいらせ候」と、御本尊様根本の姿勢を思い起こすことにより、怒りや瞋恚の心が、仏様の慈悲の心に変革させて頂けるのです。

 さらに申し上げますと、「一水四見」にも教えて下さいます。曽谷入道殿御返事(七九四頁)に、「餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれど果報に随って別々なり。此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る、二乗は虚空と見る、菩薩は無量の法門と見る、仏は一々の文字を金色の釈尊と御覧有るべきなり」とあるのがそれです。つまり、おかれている境界によってものの見え方が違うということです。誰からかある人の悪口を聞いた、また不行跡と思えることを見た、ところがそれらを判断する自身の心は、凡夫の心であるということをよくわきまえねばなりません。

 結論、仏の境界を得るということは、一切を肯定することができる境界を得ることと言えます。凡夫にすれば、「とんでもないこと」であったり、「苦悩に満ちたこと」であっても、仏様にしてみたら、「悪即善」「邪即正」なのです。そこで、御本尊様の信心をするならば「見ず、聞かず、言わざる」の境界になることができる。このことを目標として信心に励むべきですよ、と教えて下さるのです。

 佛乗寺もこれから一千所帯に向かった折伏の信心が益々強盛になってまいります。ところが、「信心が進めば進むほど、成仏が近くなればなるほど」妨げも大きくなります。そのような妨げの一つに、「己身の魔」があります。己身の魔は字の如く、我が心から噴き出してくるものです。「獅子身中の虫」を防ぐには、常に「御本尊様が中心」という生活が大切です。御本尊様中心の生活とは、御本尊様を御安置すること、勤行をすること、折伏をすることです。その生活は、仏様と一緒の生活ですから、なんの不安もない、悠々たる日々であると確信いたします。「いつも日蓮大聖人様とご一緒」。この思いが成仏の幸福の要諦であると申し上げ本日の話といたします。御参詣誠にご苦労様でした。(九月度御報恩御講ご法話より抜粋)
御会式(おえしき)に挙って参詣しよう
 十月・十一月は、全国の日蓮正宗寺院で、宗祖日蓮大聖人の御会式が奉修されます。佛乗寺は、十一月二日、三日。

 御会式とは、日蓮大聖人が、弘安五年(一二八二年)十月十三日、不滅の滅をお示しあそばされ、同時に仏の生命の三世常住を示し給うたことをお祝い申し上げる儀式であり、本宗寺院の年中行事で最も重要な法要です。

 御会式を迎えるに当たり、私達にとって、夢寐にも忘れてはならない事があります。それは、日蓮大聖人の大慈大悲に対する、御報恩の志を持つ事です。

 日蓮大聖人の御一代の御化導を拝し、私達は、ややもすると大聖人が最初から御本仏としてのお立場で出現され、御本仏として振る舞われたものと思い込みがちです。このため、建長五年の宗旨建立も、竜の口の刑場における発迹顕本も、また本門戒壇の大御本尊の建立も、御本仏のお振る舞いとして当然のことと思い、結局、大聖人が、私達末法の凡夫にとって、初めからかけ離れた存在であると考えてしまうのです。

 しかし、御本仏の大慈大悲は、そんなに浅く軽いものではありません。末法濁悪の世にあって、日蓮大聖人は、私達と同じ人界の凡夫として出現され、熾烈な忍難弘教の御修行に徹し、久遠元初御本仏の御境界を、その凡夫の身に開かれ、示されたのです。実は、こうした示同凡夫のお振る舞いこそが、末法濁悪の私達が即身成仏を遂げるべき御手本であり、道筋なのです。

 換言すれば、『開目抄』や『佐渡御書』等で、大聖人が御自身の謗法の宿業を真摯に懺悔され、妙法の受持信行と折伏弘教により、過去の罪業を一時に顕して浄化し、必ず即身成仏を遂げるべき御決意を仰せられたのも、罪業深き私達末法の荒凡夫が、この身このままで即身成仏すべき要諦を、私達のために凡夫の立場にたって開かれ、お示しくださったことにほかならないのです。

 『報恩抄』には、

「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(一〇三六頁)


と仰せです。大聖人が、もし人界凡夫の身として出現されず、また忍難弘教の御修行をなされなければ、末法に久遠元初の大法は顕れず、したがって私達は、永遠に無間地獄の火炎に沈んだことでしょう。この大慈大悲の尊いお振る舞いによって、私達は七百数十年を経た平成の今日にあっても、素直に妙法のお題目を唱えられるのです。ここに仏子として、大恩を感じずにいられるでしょうか。

 私達は、御本仏日蓮大聖人の、滅にして不滅、三世常住の生命を寿ぎ奉る御会式に、信徒として参詣すべき事は当然であることを確認するものです。そして、御本仏大聖人の真の仏子・地涌の菩薩として、御報恩謝徳申し上げるとともに、報恩行としての折伏弘教と広布への前進を改めてお誓い申し上げようではありませんか。(大白法より転載)
第十一回支部総登山行われる


 今回で、第十一回目となる支部総登山が、九月二十八日行われた。今回は三百名を越える参加申し込みがあり、御住職の御引率のもと、一同元気にお登山させていただいた。

 御開扉の後、このたび佛乗寺創立四十周年記念事業の一環として本山に建立された、「佛乗寺檀信徒の墓」開眼供養のお経が、御住職の御導師により奉修された。 その行程も、車椅子の方や足の不自由な方には、本山内をバスで移動していただき、御開扉、墓参等に無理なく参加して頂く事が出来た。


総本山大石寺境内墓地に建立された「佛乗寺檀信徒之墓」


 また、ご住職様より、全員に今回の支部総登山にあたっての御法話をプリントで頂戴し、バスでの参加者は、直接御指導を頂く事が出来、感激もひとしおであった。

 来年はどんなお登山になるだろうか。今年参加することができた皆さんは、どうぞ来年もお元気で、また今年行けなかった方はどうか来年こそは御一緒にお登山させていただけますよう、共々に精進して参りましょう。

 有意義且つ大変楽しい登山でありました。 
支部登山感想
 今後の人生をいかに楽しく健康に過ごすことができるか、大御本尊様に御祈念して参りました。また、今こうしてお登山させていただける功徳を、周りの方々に語っていこうと思います。そこに功徳を積んでゆける生活があるのではないでしょうか。松本さん

 そのとおりよね。私も同感でございます。石井さん

 久しぶりに皆さんと一緒にお登山できてよかったです。私も、来年の支部総登山は、もっと積極的に迎えられるように心を新たに致しました。松橋さん 
青年部だより

〜 訪問折伏 〜
 お彼岸の中日にあたる九月二十三日(日)、午後二時からのお経で、Aさん宅親子揃っての勧誡・御授戒を成就させて頂く事が出来ました。御母様の十三回忌のことで訪問させて頂きました。学会が宗門より破門になってからどうしたらいいのか迷っている所、我々が訪ね、よく来て下さいましたとの事でした。勧誡・御授戒を受けられる姿を見た時、我々青年の使命を改めて実感致しました。継続は力なり、めげず訪問して来た結果をバネに更なる折伏を続けて参ります。

記/青年部長
婦人部便り
 八月二十四日、東京第二地方部第六回婦人部大会が開催されました事、誠におめでとうございました。異体同心と信心の歩みで結集目標一千名に対し、一千百八十七名の方々が集い、佛乗寺支部からも九十四名の参加をもって目標を達成する事が出来ました。

 今回は、体験発表、司会、コーラス、接待、進行、企画、決意発表と、非常にたくさんの方々に大会に携わって頂き、それぞれの持ち場で力を発揮してくださいました。御協力本当にありがとうございました。

 また、御法主上人猊下様より新たに賜りました御命題達成に向けての意義ある今大会に、各支部より数多くの体験が寄せられました。大会では時間の都合上、その中のほんの一握りしか発表されませんでしたが、その他の体験も講員一人ひとりの信心の純真さ、強盛さに心打たれる、立派な素晴らしいものばかりでした。それらが、『あふれる歓喜』と題して手作りの体験集になりました。今後の折伏の実践に役立てていただくよう、各支部一部配布されました。皆さんで回し読みしていただきたいと思います。これからも異体同心で頑張ってまいりましょう。

記/婦人部長
御案内
 広布唱題会が、毎月第一日曜日朝九時に奉修されております。

 御法主上人猊下の大導師のもと、総本山を中心に日本乃至全世界の末寺、布教所において、御住職と共に広宣流布を祈る広布唱題会。

 毎月の御講と共に、この広布唱題会に的を定め、精進して参りましょう。
編集後記
 支部総登山が終った。青年部の一員として参加させていただいた私としては、来年再来年に向けてたくさんの課題、改善点が浮き彫りになった様な感が強かった。

 しかし、帰り際には、皆さんが「ご苦労様でした。よかったよ。」と声をかけてくださり、本当にありがたく胸が一いっぱいになりました。

 次は御会式がやってまいります。この大切な法要に御報恩の心で参詣するとともに、御奉公させていただける喜びと感謝の気持を常に忘れず、これからも素晴らしい時間を皆さんと共有させていただきたいと思います。ありがとうございました。

(文責編集部・禁複写転載)