平成15年12月号
日蓮大聖人御会式 厳修
日蓮大聖人御申状
(宿屋入道許御状 御書三七〇頁)

 其の後、書絶えて申さず。不審極まりなく候。
抑々去る正嘉元年丁巳、八月二十三日、戌亥の刻の大地震、日蓮諸経を引いて之を勘えたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依あるがの故に、日本守護の諸大善神、瞋恚をなして、起こすところの災いなり。若し此を対治なくんば、他国のためにこの国を破らるべきの由、勘文一通之を撰し、正元二年庚申、七月十六日、御辺に付け奉りて、故最明寺入道殿へ之を進覧す。其の後九箇年を経て、今年大蒙古国の牒状之ある由風聞す等云々。経文の如くんば、彼の国より、此の国を責めんこと、必定なり。而るに、日本国中、日蓮一人、彼の西戎を調伏すべきの人に当たり、兼ねて之を知り論文に之を勘う。
君のため、国のため、神のため、佛のため内奏を経らるべきか。委細の旨は見参を遂て申すべく候。恐々謹言。

 文永五年八月二十一日   日 蓮 花押
宿屋左衞門入道殿
御指導
「やさしさ」の実践を
 この申状は御会式に奉読されるものですから、よく御存知のことと思います。言うまでもなく申状は、時の国家権力に対し、日蓮大聖人様の仏法の正しさを訴え、「南無妙法蓮華経」と唱えることを勧める折伏の書です。

 申状が奉読された後に、参詣者一同が声を揃えて「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」とお題目を三唱するのは、「大聖人様と共に諌暁をしている」ことを表しています。日蓮正宗が折伏の宗旨であることを、この御会式の行事の上からも確認することができるのです。

大聖人様は『四菩薩造立抄』で、
「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はゞ、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べ し」 (一三七〇n)

と仰せになります。御文の意は、大聖人様と同じように修行をするならば、必ず成仏がかなう、という御指南です。末法に生を受け、六道輪廻をくり返し、仏に成ることなどとうてい不可能であり、せめて人界の衆生として地獄界には堕ちないようにしよう、と懸命に努力をしている私たちにとって、なんと有り難い御指南ではありませんか。
とは申しましても、「大難四箇度小難数知らず」の大聖人様と同じように、命に及ぶほどの法難に遭って、なお退転なく修行に励まなくては成仏の境界を開くことはできないのでしょうか。そのようにしないと、「日蓮が如くにし候へ」は実現できないのでしょうか。
大聖人様のご修行が厳しかったことは、
「日蓮御房は師匠にてはおはせども余りにこはし。我等はやはらかに法華経を弘むべし」と言い、退転した弟子のいたことが『佐渡御書』に述べられていることからも容易に知ることができます。確かに私たちの日々の生活の上からは不可能に思えるご修行です。

 しかし、大聖人様が私たちにできないことを「日蓮と同じようにしなさい」と仰せになるでしょうか。否です。一切衆生が成仏をする「法」を教え示してくださる末法の御本仏がそのような無理難題を仰せになるわけがありません。

『観心本尊抄』には、
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたまふ」

とあります。つまり、「大御本尊様」を私たちの首にかけて下さっているのです。この重大なことに気づかなければ、大聖人様の「折伏こそ成仏の直道」との大確信をお側で拝しながら、「臆病で小心な」心に支配され、師匠の振る舞いを「恐ろしい」と感じる心になり、柔らかに法華経を弘める、と言って「摂受」にはしり、退転をした五老僧と同じ轍を踏むことになります。

 日蓮正宗で、御会式の時に必ず申状を奉読するのは、いつも大聖人様と同じように、折伏の精神を堅持し精進をすることを誓う儀式なのです。この姿が「日蓮が如くにし候へ」です。
折伏を言い換えると慈悲です。慈悲は全ての人々の幸福を願う心です。故に、折伏ができる心は「やさしい心」です。殺伐とした世相を反映し、悲惨な事件が後を絶ちません。年末に向かって益々厳しい状況が予想されます。国の内外で五濁悪世の様相が顕著になっている時こそ、私たち佛乗寺法華講衆は「やさしさ」を発揮しようではありませんか。

 「やさしさ」を実践する時、「我が身が宝塔」の大功徳に浴することができるのです。ご精進ご精進。
佛乗寺の御会式が盛大に奉修
「大聖人様、御歴代上人様の折伏の御精神を拝して」
 宗祖日蓮大聖人御会式が、十一月二日・三日の両日、佛乗寺において奉修された。

 御会式とは、大聖人様が弘安五年十月十三日に御入滅あそばされ、滅不滅・三世常住の御姿をお示しになられたことをお祝い申し上げる儀式で、私達にとって最も大事な法要である。

 時折ぱらつく秋雨にも拘わらず、講頭、総代を始め、過去最多の三百五十名を越える参詣者が御本尊様に唱題申し上げる中、先ず御住職による献膳の儀が執り行われ、次いで方便品、寿量品の読経、そして『立正安国論』並びに御申状の御奉読がなされ、自我偈、唱題へと如法に厳修された。

 法要の後、宗務院渉外部長・宣徳寺御住職秋元広学御尊師より布教講演を頂いた。『立正安国論』を拝して、「世の中の乱れ、人心の荒廃、天変地妖、災難等、その原因は正法誹謗にあり、それらを折伏していくことが最も大切であると同時に、自他ともに成仏を遂げていける最も尊い仏道修行である。そして、いかに不浄の者であっても、折伏を行じていくことにより、自他ともに浄化していけるのである。(要旨)」等、お話を頂いた。

 その後、お花くずしが執り行われ、法要は恙無く終了した。
第七十回地区長会開催
「大聖人様のお心を伝えるメッセンジャーになろう」
 第七十回地区長会が十一月七日午後六時三十分から佛乗寺本堂で開催された。

 会は御住職の御導師で三座の勤行の後、講頭の司会で開催となった。新本堂建立御供養の推進に当たっては、家庭訪問を通して皆に周知徹底し、御供養の大切さを啓蒙して行こうと誓い合った。また、講頭より一人ひとりが総本山の奉安堂建立御供養の時の倍を目指して頑張っていこうと呼びかけがあった。

 さらに御住職様は、『光日坊御書』を通してお話しされ、大聖人様は常に具体的な実践の方途を私達にお示しくださっている、そのお姿を鏡として、地区長より地区員へきめ細かな育成に精進を、とご指導された。

 続いて折伏推進委員長は、御供養も折伏も、我々が功徳を積ませていただけるチャンスである、そして自分の信心をホンマもん(本物)にするこのチャンスが、今佛乗寺講員一人ひとりに平等にある、と激励された。また、向陽十一月号に掲載された、女子部Kさんの体験より、「相手が誰であろうと関係なく、その人を必ず救う、幸せになって欲しい、ただそれだけを真剣に祈る真心を忘れない様に教えて頂きました。自分が迷わず本気になれば必ず叶うんだと更に確信しました。」との箇所を引かれ、一人ひとりがこのような気持になれば、必ず折伏はできる、と話された。

 そして、来年の初級教学試験に向かって、毎週木曜日の唱題の後勉強会を開いて頂くことが決まった。

 最後に御住職様より、私達は過去世の因縁によって今御本尊様の前にいられ、罪障消滅をしていけるのである。この有り難さを表にし、観念でなく実践をもって、大聖人様のお言葉・お心を、世間に伝えるメッセンジャーになっていこう、と御指導いただき、参加者一同決意を新たにした。
法華講便り
初めてのお山/Mさん

 九月二十八日透き通るような秋空、私にとって始めての登山の日がやって参りました。三門をくぐって奉安堂まで感慨深く歩きました。御開扉では大御本尊様と日顕上人様にお会いする事ができ、本当に幸せな一日でした。
 皆さん大変お世話になりました。

 
御会式に参加して/園部さん
 
 初めて本山の御大会に参加する事が出来嬉しかったです。雨でお練りが中止になったのは残念でしたが、翌日の行列に参加し、猊下様が通られる時は雨が上がり、不思議な気がしました。
 三々九度の儀式では、若い御僧侶の動作に驚きました。厳粛で、古式に則って脈々と伝えられているのだと感じました。末寺のお会式にはない儀式を拝見させていただき良かったです。


訪問折伏に参加して/Fさん

 十月一九日この日、初めて参加させていただきました。
 朝九時半本堂集合後、NさんとOさんと私とで、三人で廻りました。
 初め訪問先では、私も受け身の状態で、NさんとOさんに任せきりでしたが、私も、積極的に行くことにしました。初めはうまく話せませんでしたが、話し方の手順等をNさんに教えていただき、訪問するごとに少しずつ慣れてきました。でも、お二人にくらべるとまだまだです。やはり、常日頃からやっておけという事とは、この事でしょうか…恥ずかしながら痛感させられました。
 こうして廻ると、いろいろ解ります。留守、転居の方もいましたが、完全に洗脳されてしまっている方、又、まだ御本尊様は変えていないが、近所が学会なのでつき合いでやっている方や、祖母は信心をしていましたが、孫の私は、していません…等々でした。
 お寺に帰り、本堂にて、青年部長とともに、夕の勤行をしました。勤行が終わると、私は爽快感でいっぱいでした!私は今年で、十年目ですが、いままでにない感じで、とても不思議な感じでした。この後みんなで話しました。時計を見るとすでに午後八時半近くでした。
 今回この訪問折伏に参加させていただいて感じた事は、今の世の中は、とても安易な社会になってしまったという事です。やはり学会が、安易に偽本尊に変えてしまったからでしょうか?私にはそう思えてなりません。
その結果、悪いニュースばかりが連日報道番組を賑わす状態に…
 折伏推進委員長の「折伏は、法華講員の使命です!」が思い出されました。
 みなさん、ありがとうございました。次回もよろしくお願い致します。



青年部のYさん夫妻にご長男が誕生し、十一月十九日家族揃って初参りに参詣されました。
読経唱題の後、御授戒を頂き、健やかな成長と、未来永劫にわたっての妙法受持の御祈念をして頂きました。
お姉さんになった、Aちゃんも喜んでいるようでした。
おめでとうございます。


第九回徳寿会開催
 十一月二十三日午後十二時半より、本堂において徳寿会が催された。昨年は、法華講三十万総登山の年にあたり、この徳寿会も青年部・少年部との合同登山会という形をもって行われたため、今回のような形式は一昨年振りとなった。
 勤行・唱題、食事会の後、会は総地区長の司会により進められ、弁護士による時局問題、フラダンスの余興、御住職による御法話・質問コーナー等、和やかで有意義な会となった。 
 また、恒例となっている展示も同時に開催され、講員による力作の数々が並び、参加者の目を楽しませてくれた。
 途中で御授戒を受ける方がお見えになり、全員で読経唱題し、お祝いをした。     


師走の行事・御案内
★ 十三日(土)・十四日(日)は、新築御供養第一回受付日。
★ 二十八日(日)は、お餅つき + 大掃除です。家族そろって参詣しましょう。


青年部よりお知らせ
★ 二十一日(日)折伏DAY。本年最後です。ともに精進を!
★本山任務者の新規募集です!(輸送班・整理班・救護班大募集)
 大御本尊様、猊下様のお膝元で精一杯御奉公しよう!締め切りは十八日。もう迷っている暇はありません。どうか初めから諦めないで、一歩踏み出そう!必ずできるさ。お申し込みは、青年部長まで。
編集後記
「善き焦りを」
 十二月を迎え慌ただしさが増し、いつもの月と違う雰囲気が醸し出されてくる。残り一月しかない、早く目標を達成しなければ・・・。誰しも思うことである。そして、焦りの心に支配される。

 ところが、焦れば焦るほど目標達成は難しくなるのも過去の経験で学んでいることである。しかし、凡夫の心は焦るのである。また凡夫ゆえの心の動きであろう。

 焦りは何かをなそうという使命感の裏返しでもある。目標に対する前向きな気持ちが焦りとして表れるのであるから、悪いものではないはずだ。

 大聖人様は『観心本尊抄』の中で、
「観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是を観心と云ふなり」(六四六頁)

と御指南下さる。この御文を我等の現在の心境にあてはめるならば、「今の私の心は目標に向かって進んでいるか? それとも、別の方向に向かっているか? このことを基準にすれば、答えは自明である」となる。

 即ち、焦る心も、目標に進んでいる過程で生まれたものであれば「善き焦り」である。目標から外れ闇雲に、年末だ、師走だ、ローンだと追いつめられるのが「悪しき焦り」である。反対に前向きな焦りは、「プレッシャーを楽しむ」とのオリンピック金メダリストの生き方に通ずる。

 常に前向きな姿勢、積極的な生き方が道を開くものだ。これについて大聖人様は、四条金吾に与えた御文の中で、
「『諸余怨敵皆悉摧滅』の金言むなしかるべからず」(一四〇八頁)

と仰せになり、仏子としての自覚ある勇気こそ大切である、と御教示である。

 年末の一月を、「悪しき焦り」の中で過ごすか、「善き焦り」の中で過ごすかによって来年が違ってくる。願わくば大願を立てよう。

全ての人々が幸福境界を開かれんことを。

(文責編集部・禁複写転載)