平成16年 5月号
御住職御指導

〜 南条時光への折伏の御指南 〜
 五月一日は南条時光の祥月命日忌である。総本山では「大行会(だいぎょうえ)」として客殿で御法主上人大導師のもと全山の僧侶が出仕して追善供養のための法要が執り行われる。生涯を広宣流布一筋に捧げた時光の遺徳を忍び、大聖人様が時光を通してご教示下さる折伏の精神を学びたいと思う。

『上野殿御返事』(七四六)で、

「この御文は大事の事どもかきて候。よくよく人によませてきこしめせ。人もそしり侯へ、ものともおもはぬ法師等なり」

と南条時光にたいし御指南である。意は、「いま日蓮がさし上げた手紙には、大事の事を書きました。よくよく人にも読み聞かせなさい。謗法の者共が謗るであろうが、日蓮の弟子は、そのような者共が言うことをものとも思わない強者であるから、安心して共に折伏をしなさい」と、十六歳の時光にとっては誠に厳しい折伏の御命題であった。

 このように、厳しく仰せになる傍らで、

「委しくは此の御房に申し含めて候」

と日興上人に仰せ付けになる。日興上人はこの仰せを受け、お手紙をいっしょに拝読し、意味を詳しく説明し、さらに、大聖人の御精神がしっかりと南条家の人々や上野郷の人々の心に根付くように懇切なご教導をされた。この事は、日興上人が御書に振り仮名を付けられたものが現在総本山に厳護されていることからも拝察できる。さらにまた、正法を正しく伝えようと努力された日興上人と、大聖人滅後に正法に背いた五老僧たちとの違いを知ることができる。現在各末寺で行われている「御報恩御講」の原形は、すでにこの当時に整っていた事も分かる。 

 時光は大聖人の御指南のままに、師匠とも兄とも仰ぐ日興上人の教化のもと大いに折伏に邁進した。ところが、

「いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ」(開目抄・五三九)

「必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」(兵衛志殿御書・一一八四)

等の御文は、南条時光とて例外ではなく、大きな難がたちまち起こるところなった。

 建治元年五月に与えられた『上野殿御返事』(八二五)で、そのことが示されている。

「もし此の事まことになり候はゞ、わが大事とおもはん人々のせいし候。又おほきなる難来たるべし。その時すでに此の事かなうべきにやとおぼしめして、いよいよ強盛なるべし」

とあるのがそれである。

 御文の意は、「大事と思う人々から、日蓮大聖人の信仰を制止するような働き掛けがある。また大きな難が襲ってくるであろう。しかし、そのときこそ必ず諸天の加護がある」というものである。さらに、

「かへすがへす人の制止あらば、心に嬉しくおぼすべし」

とまで仰せ下さるのである。意は、南無妙法蓮華経の御本尊様の信仰を妨害するような人が出てきたならば、それは信仰が深まった証拠であるから喜ばしいことである、と。

 これは、時光の信心が、ますます強盛になった事を証明される大確信の御指南であり、時光はこのお言葉を深く拝し、さらに精進を重ねたのである。
体験発表
立宗750年の年、ようやく正法にたどり着いた喜びに、尊い使命を自覚。
相手の幸せを心から祈る折伏へ奔走


 私は15歳の時、母にお寺に連れていかれ御授戒を受け、

 何もわからないまま創価学会に入りました。その時は、住み込みで働いておりましたので、御本尊様はお巻きしたままタンスの引き出しにお仕舞いしての信心でした。学会活動には参加せず、ただ母から「御本尊様にはすごい力がある。」ということを聞かされておりましたので、苦しい時だけ手を合わせるような状況でした。そのような信心であったからか、二十一歳で結婚し、二十五歳で長女、翌年長男を出産しましたものの、夫は理想ばかり高く、私の父や兄弟に借金をかさねついに倒産してしまいました。

 私はやむをえず夫と別居し、借金返済のために、幼い子供達を両親に預け一人で上京し、夜の仕事をしながら懸命に働きました。一年後には夫も上京して心機一転真面目に努力する約束をしましたが、給料をもらっても家には入れず、私の留守中に友達と飲み歩く始末で、この人と一緒にいるとかえって借金が減らないばかりか、子供達や私の両親に申し訳ないと思い、自分一人で頑張った方が良いと決心して別れることにしました。 

 昭和五十五年二月、群馬に移り、新聞広告で見たお座敷さんの仕事に応募し、夜遅くまで一生懸命頑張り、約一年後、貯金は出来ませんでしたが兄弟への借金はすべて返す事が出来ました。その年、現在の主人のはからいで再び上京して家族揃って生活出来るようになりました。その頃に親しくなった近所のおばさんに誘われて学会の組織につき総本山にも何回か登山し、家族も全員が入信しましたが、折伏はしませんでした。

 平成三年以降は学会問題に不審を抱き活動は控えておりましたが、平成八年、同じビジネスをしていた友人のHさんに「何か信心をしているのか。」と聞かれましたので、「創価学会に籍がある。」と言いましたら「今、大聖人様の仏法を真剣にやっている団体は顕正会だけで、学会と総本山はみにくい争いをしている。本物は顕正会だけである。」と熱心に誘われ言われるままに顕正会に入ってしまいました。以来、ビデオ放映、日曜勤行、御書講義と会館に通い、学会にいた時より活動をしました。又、Hさんに折伏をしないと罪障消滅できないし幸せになれないと言われ、本物だから大丈夫だと思い家族全員と数名の友人を入会させてしまいました。今思うと誠に申し訳ない事をしたと思っています。私を顕正会に誘ったHさんはビジネスの収入が途絶え、新しい職場に良い条件で行くという話でしたが、行ってみたら次々と人手がなくなり、一人でやる時が多くなり、とうとう体調を崩して一ヶ月ほど休んでいたそうです。あんなに一生懸命折伏をやっていた人が護られないのかと不審に思った時がありました。

 そのような時の平成十四年一月末、Mさんの奥さんと久しぶりに再会しました。以前学会員だったMさんは、平成三年に池田大作の謗法問題で、「創価学会は信仰の団体ではない」と気づき、脱会し法華講に移る決心をしたという話を聞かせてくださり、その折に以前顕正会員だった渡辺氏の著書『顕正会からの脱出』を貸してくださいました。あまり活動をしていない私でも思いあたる事があり、その日のうちにお寺に連れて行っていただき、勧誡を受けることができました。その時御住職様から、「やはり日蓮正宗に縁がありましたね。」と言われたことをよく憶えています。

 勧誡直後の四月二日、Mさん御夫婦に総本山に連れていっていただき、素晴らしい天気で満開の桜を見、きれいに整備された総本山の姿を目の当たりにして、創価学会や顕正会のウソが本当によく分かりました。そして御開扉を受け大御本尊様を拝した時は、ようやく正しい仏法にたどりついたという思いで胸が一杯でした。この年は宗旨建立七百五十年の佳き年でもありましたので、私の家族や縁のある方一人一人を、私の責任において大御本尊様に導き、救って幸せにしてあげたいとの思いで折伏に励む決意を固めました。そしてMさん御夫婦の応援のもと、顕正会に入れた家族や友人に、「顕正会は学会のミニチュアで日蓮正宗を破門された邪宗であった。」事などを話し、主人をはじめ子供達は勧誡を受ける事が出来ました。また、友人のIさんを折伏しましたら、すでに顕正会に対し疑問を抱いていた彼女はすぐに脱会し、そのIさんは友人のSさんを折伏したいと言われました。早速Iさんと二人でSさんをMさん御夫婦に紹介し、折伏の応援をして頂き即座に勧誡を受ける事が出来ました。このSさんは現在、法華講で素晴らしい活躍をされている事は皆さんよくご存じのとおりです。また、Iさんの娘さんで芸術家のAさんを折伏し、総本山にお連れした帰りの事ですが、御開扉に感動したAさんが、「これからいい事があるといいね。」と言いましたので私は、「信じていれば絶対いい事がある。」と話して居りました。Aさんはこの年、京都の有名な美術館に出展したり、昨年は海外にも出品するという功徳を受けられております。また群馬で知り合ったKさんを折伏するため、Mさん御夫婦に前橋まで足を運んで頂き、無事入信させる事が出来ました。素直ないい子で娘のように思っております。昨年十月には縁合って結婚し、本年三月には赤ちゃんに恵まれました。素直に入信したKさんには、これからもずっと御本尊様の功徳をいただいて幸せでいてほしいです。

 そして、折伏した方々をMさん御夫婦のお力を借りて総本山に何回かに分けてお連れする事が出来、三十万総登山のお手伝いを少しでもする事が出来たと嬉しく思っています。今年の二月には叔父の葬儀をきっかけとして、いとことその息子をMさんの協力で折伏する事が出来ました。育成が難しい親戚ですがお寺に連れてくるように頑張りたいと思います。以上は折伏の成果のご報告ですが、失敗もあります。それは、強情な立正佼成会員でNさんを折伏したときです。一度はお寺に来る約束が出来ました。ところが魔が入り四、五日後に断りの電話が入り、それでもMさんと約束の日に迎えに行きましたが会えませんでした。でもあきらめずに勇気を出して会いに行き、必ず大御本尊様のもとにお導きし、Nさん御一家に幸せになって頂きます。

 振り返ってみますと法華講に入講したときの私は、正直なところどん底の状況でした。これといって決まった収入もありませんでしたし、少しだけあったお金も、すぐ返すという約束で友人に貸し、返してもらえず苦しい思いの時でした。良い話はあってもなかなかうまく行かず収入につながりませんでした。しかし、私はためされているのだと思い、御本尊様を信じて一生懸命に折伏の縁作りと、お寺への参詣を続けるうちに、兄や子供達、それから私に縁のある方達に助けられてここまでこられました。きっと御本尊様がもっと頑張って下種するようにと守って下さったのだと思います。

 私は、いつも人と会うたびに、この人を幸せにしてあげたいという思いで勇気を出して話をするように努力しています。入信した人達が皆少しずつではありますが、功徳をいただいているのを聞くと何よりうれしく思います。日蓮正宗の信徒としてはまだ未熟な私ですが、折伏してくださったMさん御夫婦や、いままで信心を支えてくれた方々に感謝するとともに、大聖人様の「我並びに我弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ、現世の安穏ならざる事をなげかざれ」(『開目抄』御書五七四貢)との御指南を心に刻み、少しでも広宣流布のお役に立てるよう、平成二十一年『立正安国論』正義顕揚七百五十年に向け一人でも多く縁ある方を折伏して行きたいと思います。

(Hさん)
編集後記

 年に一度の支部総会に、たくさんの方が参詣した。中でも遠く島根から夜行バスに乗って来られたのは、青年部のKさんと、Sさんである。会の中で講頭より紹介され、皆その尊い求法の志に精一杯の拍手を送った。

 そのKさんが、五月一日、実のお姉さんを折伏成就することが出来た。ちょうどゴールデンウィークで実家に帰る途中でその知らせを受け、すぐに連絡をとった私に、Kさんが励ましのメールをくれたので、皆さんに御紹介し、共に信心の糧にしたいと思う。


 「毎日ずっと祈ってたよ。姉さんお寺には二回位、家に御住職様が来て下さった時も来れて、お数珠とお経本を渡したり、家の御本尊様に手を合わせてもらったり、事あるごとに誘ったり話したりしてました。やらないとは言わないから一年待ってたけど、本人いわく真剣に考えたのは、御住職様を交えて話し会った四月二十三日からだったらしぃ。で、結論!待ってても進まない!真剣に話せば話せば兄弟は必ずわかってくれる!姉さんは、数日前に、私が一人で信心してる気持ちをやっとわかってくれたよ。後、御住職にあってもらう事だなぁとつくづく思いました。頑張ってね!!」


 またたくさんのことを学ばせて頂きました。「ありがとう。頑張ります!」 

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