平成17年9月号
御指導
『千日尼御前御消息』(新編御書・一二八九頁)
 
 仏は子なり、法華経は父母なり。譬へば一人の父母に千子有りて一人の父母を讃歎すれば千子悦びをなす。
 一人の父母を供養すれば千子を供養するになりぬ。


【通解】
 仏は子供です。法華経は父母です。譬えて言えば一人の父母に千人の子供がいる中で、一人の父母を誉め讃えるならば千人の子供が喜ぶようなものです。一人の父母を供養すれば千人の子供を供養することになります。


【御文拝読の要点】
 世間一般には、印度に生まれた釈迦族の王子シッタルタが出家をして難行苦行の後に悟りを開き仏陀となった。その仏陀の教えにしたがって信仰することにより凡夫も救われる、と思っています。

 たしかに、爾前の教えではその通りですから、ここで「仏は子なり」と大聖人様が仰せになる御文を拝して、いったい何のことだろうと不思議に思うことでしょう。仏が父母でなければならない、という思いに執われるとここでの仰せが理解できないのです。しかし、千日尼はこの御指南を理解できるほどに信仰が深まっていた方です。当然といえば当然ですね。大聖人様が佐渡に御流罪となったときに、夫の阿仏房とともに念仏の信仰を投げ捨てて南無妙法蓮華経とお題目を唱えるようになった方でありますから。そればかりではなく、度重なる島民たちの迫害にもひるむことなく、日蓮大聖人様を命がけでお守りした方です。日蓮大聖人様が末法の仏様であると命で感じていたのです。そうでなければ
「地頭・地頭等、念仏者・念仏者等、日蓮が庵室に昼夜に立ちそひて、かよう人をあるをまどわさんとせめしに、阿仏房にひつをしをわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわすらむ。只悲母の佐渡国に生まれかわりて有るか」
という信仰の実践はなかったことでしょう。この御文から佐渡の島の法華講衆の修行がわかります。つまり、日蓮大聖人様の折伏を妨害しようとして、佐渡の島の地頭たちや念仏の僧侶や信徒たちが、大聖人様の庵室に誰も近づくことがないように昼も夜も見張っている中を、食べ物や飲み物、また紙などが入ったお櫃を背負って阿仏房がこっそりと忍んで行き、大聖人様に御供養を申し上げたのです。それも「度々」とございますから、一度や二度ではないことが明らかです。

 このように末法の法華経の信仰を実践するのですから、大聖人様が佐渡に御流罪になった意義も十分に理解しておりました。また大聖人様をお守りすることを成仏の修行と深く心に刻んでおりました。

 拝読の御文は、仏も法華経を修行して仏に成ることができた、というものです。親子の関係でいえば、法華経が父母であり、法華経の教えから生まれたのが仏の悟りである、と教えて下さるのです。ですから、「仏は子なり」と仰せになるのです。

 申すまでもありませんが、この法華経は、私たち日蓮正宗の信仰をするものの立場から拝するならば、人法一箇の本門戒壇の大御本尊様です。人法一箇とは人の仏様、人の仏様とは人格をお持ちになって私たち凡夫の前にお出まし下さる仏様のことです。末法においては鎌倉時代に御出現の日蓮大聖人様が人の仏様です。それに対して法の仏様は、人の仏様がお説きになった教えのことです。したがって今日の私たちが拝する法の仏様は、日蓮大聖人様が顕して下さった大御本尊様が法の仏様であり、
『経王殿御返事』に
「日蓮が魂を墨に染めながして書きて候」
と仰せでございますから、御本尊様の中に大聖人様がおわしまし、人と法が一体となった大御本尊様を私たちは根本と致します。これが日蓮正宗です。御観念文に「独一本門戒壇の大御本尊」とあるのは、法華経の中にあっても、文上の法華経からさらに深く奧に入っているからです。相伝のない身延派やその他の邪宗邪義の考えおよばぬことですから「独一」と言うのです。この大御本尊様を根本として修行するところに成仏が得られるのでありますから、大御本尊様を御供養申し上げるならばそこから生まれたすべての仏様を御供養することになり、大きな功徳を得られるのです。

 当抄の冒頭で、
「青鳧一貫文・干飯一斗・種々の物給び候ひ了んぬ。仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生まれたり。仏に漿をまひらせし老女は辟支仏と生まれたり。法華経は十方三世の諸仏の御師なり。十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり。三世の仏と申すは過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏、乃至華厳経・法華経・涅槃経等の大小・権実・顕密の諸経に列なり給へる一切の諸仏、尽十方世界の微塵数の菩薩等も、皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり」
と仰せです。

 御文の意味は、「穴が開いた貨幣を千枚、一度炊いて後に乾燥させた米を一斗、またその他色々な品物を御供養として確かにお受けいたしました。釈尊に土の餅を御供養した徳勝童子は、その功徳により印度を統一した最初の国王となることができました。また同じように釈尊に米のとぎ汁を御供養した老女は辟支仏という仏に生まれました。今千日尼は法華経に御供養をされます。法華経は十方三世の仏様の師匠です。十方の仏様とは、@東が善徳仏、A東南が方無憂徳仏、B南が栴檀徳仏、C西南が宝施仏、D西が無量明仏、E西北が華徳仏、F北が相徳仏、G東北が三乗行仏。そしてH上方が広衆徳仏、I下方が明徳仏です。また三世の仏様は、過去の中の千仏、現在の千仏、未来の千仏、さらに華厳経や法華経や涅槃経で説かれることごとくの仏様、また十法世界の大地をすりつぶして粉とした数と同じくらいの菩薩様たちも皆ことごとく法華経の妙の一字を修行して仏と成ることが叶ったのです」となります。

 千日尼が日蓮大聖人様に御供養をされる功徳の大きさがよくわかるではありませんか。しかも、時代背景を考慮に入れると大聖人様の仰せが決して誇張したものではないことがおわかりになることでしょう。

 たとえば、今日の私たちが、総本山に御供養を申し上げる、という修行と対比して考えてみますと、私たちには宅急便もあります。振り込みもできます。郵便書留もあります。そんなことは失礼だから、と足を運ぶのが本義と考え実行しても日帰りが可能です。それに対して、鎌倉時代に佐渡から大聖人様への御供養はどのようにしてなされたのでしょうか。何方かが登山をするときに一緒にお願いしたのでしょうか。それとも特別の使者をたてたのでしょうか。いずれにしてもご苦労があります。お届けする方法が見つかったとしても、次には無事に届くかどうか、という心配もしなくてはなりません。このように考えますと私たちの何十倍かの苦労がともなっているのです。ですから、大聖人様はこのように最大限のお言葉を以て信心の貴さを賛嘆下さるのです。

 さて、法を修行して仏に成ることを『当体義抄』(六九五頁)において大聖人様が仰せ下さっております。
「因果倶時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふなり」
との有名な御文です。現代語に訳しますと、
「原因と結果が同時に具わる不思議な教えがあります。この教えを妙法蓮華と名付けます。この妙法蓮華の教えの中に宇宙のすべてが具えられており一つも欠けたり減ったりすることはありません。この妙法の教えを修行する者は仏の修行をすることですから仏という結果を受けることができます。聖人はこの妙法の教えを師匠として修行され道を覚られたのでありますから、妙法の修行と妙法の功徳を同時に感じ得ることができたのです。そこで、この上もない不思議な悟りの境界、一つも欠けることのない円満な境地、すなわち仏と成られたのです」
となります。

 つまり、因と果が同時に具わっている教えが妙法であり、それは不思議な法であり、私たちの思議するところではないのです。ここが大切なところです。

 一方、因果倶時に対するものが因果異時です。原因と結果が同じではない、かけ離れている、反対に結果があってもその原因を示すことができない、これが因果異時です。たとえば、唯一絶対の仏や神がいて、宇宙を始めとする一切を創造した、と説くキリスト教や、すべては弘法大師が始めた、とする真言密教は因果倶時とはいえません。これらと正反対の教えが法華経であり、宇宙の存在とともに妙法も存在しているというのが法華経の教えです。したがってその教えをもとに修行をすることにより宇宙の根源の法を覚ることが可能となるのです。根源の法を覚るならば宇宙の中で起こっているすべてを知ることができるようになる、と説かれるのです。この妙法蓮華経が父母であると仰せです。

 当体義抄での「因果倶時不思議の一法」を日寛上人が文段で御指南下さっております。
『当体義抄文段』
「一には一往、九因一果に約す。謂く、この一念の心に十法界を具す。九界を因と為し、仏界を果と為す。十界苑然なりと雖も、而も互具互融して一念の心法に在り。故に『因果倶時・不思議の一法』というなり。二には再往、各具に約す。且く地獄の因果の如し。悪の境智和合すれば則ち因果あり。謂く、瞋恚はこれ悪口の因、悪口はこれ瞋恚の果。因果を具すと雖も唯刹那に在り。故に『因果倶時・不思議の一法』というなり。乃至善の境智和合すれば則ち因果あり。謂く、信心はこれ唱題の因、唱題はこれ信心の果。因果を具すと雖も、唯一念に在り。故に『因果倶時・不思議の一法』というなり。これ仏界の因果なり。略して始終を挙ぐ。中間の八界は准説して知るべし」
と。これは「因果倶時不思議の一法」を一往と再往の二通りから解釈されております。一往というのは再往に対する言葉で、一通りとか、そのまま、ということです。再往は、一重立ち入った、ということです。ここでの一往は、仏様の上にあてはめればこのようになる、ということですから、因果倶時の説明を仏様の側からされたものです。これが〈地獄界から菩薩界までの九界を因として仏界を果とする〉ということです。地獄界も仏界もすべてが同時に一念の中に具わることであり、
「此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し」
との当体義抄の御文の意です。つまり、妙法蓮華経の中にすべてが具わって欠けたるところがないのであります。ようするに「妙法」と「妙法を教えて下さる仏様」のことを指し示された御指南であると拝するのです。

 次の再往での解釈が、妙法を修行する私たちの立場からのことです。日寛上人が「各具に約す」と仰せになられるのがそのことを意味します。各具とは地獄界や畜生界、また人間界のように十界の中のそれぞれの境界のことです。その中で「地獄界」と「仏界」を例として挙げられております。その地獄界ですが、私たちの口から出る「悪口」や「愚癡の言葉」は地獄界の表れであると仰せです。そしてその因、すなわち原因となるものは、瞋恚(しんに)であるとされるのです。瞋恚の瞋も恚も「いかり・いかる・おこる」等の意味です。ですから、瞋恚とは怒り・怨みの心です。怒ったり怨んだりする思いが、悪口という行動になって表面に現れた状態を地獄界であると日寛上人は仰せになっております。悪口の原因は怒りの心ということです。「因果倶時」とはこのようなことであるとの御指南です。

 これは悪い方の因果倶時で、次の仰せは良い方の因果倶時です。
「信心はこれ唱題の因、唱題はこれ信心の果」
とのお言葉がそのことです。御本尊様を信ずる心が唱題という行いの元となります。その果として、御本尊様に向かって唱題をするのです。それは仏界の姿ですから、私たちの一念の中で、御本尊様を信じる心がそのまま唱題になりますから「因果倶時」と仰せになるのです。


【信仰の中に生活があり、生活の中に信仰がある】

 悪口は地獄の心が表面にあらわれたものである、との仰せは注意をしておきたいところです。反対に、唱題は仏界である、との御指南は有り難いですね。日々の生活の中にあってもこの御指南を忘れないようにしたいものです。そうすれば、私たちの顔は仏様のように尊くなります。心も大慈大悲となって何ものにも破壊されることのない阿仏房や千日尼のような境界を築くことができます。

 私たちのような凡夫が仏に成ることができるのは、因と果が同時に具わることを教えて下さる日蓮大聖人様が顕された大御本尊様を受持し、日蓮大聖人様が仰せ下さるように南無妙法蓮華経と唱え折伏に励むことにより実現します。暑い中ではありますが、お題目を第一にして折伏を行じましょう。不幸な信仰に惑わされている人たちに、日蓮正宗の大御本尊様の有り難さを伝え、富士大石寺に導くと共に、私たちは折伏の功徳、つまり成仏の功徳を受けてまいりましょう。

 明年の新築落慶入仏法要に焦点を当て、障魔を乗り越えて一回り成長した姿で御法主上人をお迎えしようではありませんか。


以上
お知らせ
 この度、以下のような手紙が届きました。ところが差出人の住所氏名が書かれておりません。そこで「御返事」としてお答えをいたしました。お読み頂きご理解を賜りますよう念じております。


御返事

 貴札 謹んで拝見いたしました。仏乗寺のことをご心配下さる温かいお言葉に感謝すると共に、地域の皆さまのこのような温かいお心のお陰をもちまして、昭和三十八年に開創以来、今日まで順調に発展することができましたことに 厚く御礼を申し上げます。

 また、このたび檀信徒の強い護法の一念により、老朽化し耐震性等に不安のある建物を建て替えることが決まっております。新しい建物は、ご要望にもございましたように、設計段階から防音にも万全を期し、さらに、地域の防災拠点としても活用して頂けるように工夫を凝らしたものになっております。まもなく工事に取りかかる運びとなっており、工事中は近隣の皆さまにご迷惑をお掛けすることになりますが、なにとぞご理解・ご協力を賜りますようにお願い申し上げます。

 さて、ご賢察の如く日蓮大聖人を宗祖と仰ぐ伝統教団においては、南無妙法蓮華経とお題目を唱えるときには必ず太鼓を打ち、世界の平和を祈る修行に励むことになっております。また、日蓮大聖人は 太鼓の音を聞いた人は、一人残らず今世あるいは後世において仏になることが叶う、と教えて下さっております。

 このような宗祖の御教えを守り、朝夕のお勤めの時や、檀家の先祖供養のための読経後に太鼓を打っております。

 中には、「朝晩の太鼓の音を聴くたびに、仏様から励ましのお言葉をかけて頂いているような気持ちになります」と仰って下さる年輩の女性や、「太鼓の音で時間がわかって有り難いです」と仰る方も少なからずおいでになり、恐縮するとともに 有り難く思っております。

 この例からも、同じ太鼓の音であっても聴き方は十人十色であるといえます。とは申せ、お申し出の件に異を唱えるのではありません。

 そこで、これまでは温暖化防止の観点から、クーラーの使用を控えておりました関係で 本堂南側の窓は全開にして太鼓を打っておりましたが、今後 太鼓を打つときには窓を閉め、また、不都合のない範囲で、なるべく小さな音で打つように心がけてまいりたい と考えておりますのでご理解を賜りますようにお願いいたします。

 最後になりましたが、子供さんがむずがる、というお話に関し、宗祖のお言葉である、
「譬へば病の起こりを知らざらん人の病を治せば弥病は倍増すべし」(『種々御振舞御書』)
を思い起こしました。この宗祖のお言葉は、病の根本原因を知ることが大切である、という意味です。このお言葉を 今回のことにあてはめて考えることも意味のあることではないでしょうか。つまり、太鼓の音でむずがるそのもとに、もっと根元的な原因が潜んでいるかもしれない、ということです。風邪と思っていたのがそうではなく危うく手遅れになるところだった、という話は特に赤ちゃんの場合によく聞くところです。 一般的にいう「因果関係」は、原因があって結果を見る、というものですが、法華経では、もう一歩深く考え、「因果」の間に「縁」があることを教えています。今回の場合は太鼓が「縁」となっているのかも知れません。

 この日蓮大聖人の御教えのように、誰もが表面に現れたことを通して、そこから常に一歩踏み込んだ考え方ができますと 世の中は平和になります。仏の御教えは現実の生活の中で応用することができるものばかりですから、私たちは仏教を信仰するのです。また皆さまにお勧めする所以もここにあります。

 ともあれ、この後も日蓮大聖人の御教えのままに、世界の平和を願い地域の安穏を祈る修行に励んでまいる決意であることを申し上げ、意を尽くしませんが御礼旁々御返事といたします。ありがとうございました。                   


佛乗寺 笠原建道



※以下の文が「近隣住民」と名乗る方の手紙です。

平成十七年八月十四日

佛乗寺住職殿

拝 啓 残暑厳しい折ご清祥の御事とお慶び申し上げます。

 さて、以前から気に掛かっていたことでありますが、貴寺院が宗教団体であることもあり、遠慮いたしておりました。それは、一日数回鳴り響く太鼓の音のことであります。日蓮系の各寺院では、お勤めの際太鼓をならすことは存じておりますし、また、宗祖以来の伝統であったろうと愚考いたしております。

 ただ、このあたりは住宅街でありまして、住む人の生活態様も種々であり、夜勤務に出て昼休むと言う生活形態をとる人もあります。それほど大きな音でないにしても、毎日決まった時間に十分、十五分と太鼓をならされた場合、気にしなければそれで済む時もありましょうが、一旦気になるとお勤めが終わるまで結局眠ることは勿論何もできない状態が続きます。また、幼児がときにぐずつきだし、結局太鼓が鳴りやむまであやしていなければなりません。

 このような事情でありますので、どうかお勤めの時の太鼓は、差し支えない限り、出きるだけ小さい音で、成る可く短時間で終わらせていただくよう宜敷くお願いいたします。

 なお、貴寺院では近く改修のご予定と承知いたしておりますが、改修後は完全な防音設備を備え、近隣との調和を計られるよう何分のご高配をお願いいたします。

草々


近隣住民
投稿
 今月は婦人部の方と、少年部の皆さんから、編集室に投稿して頂きました。

 一人目の廣瀬さんからは、戦後六〇年の節目ということで、自らが体験された空襲を、まさにご本人が当時体験し、書き留められたそのものを寄せてくださいました。


『人のこげる臭いが……』

 「もう起きた方がいいんじゃないか、板橋の方の空が真赤だよ。」

 おじさんの声に時計を見たら十一時でした。三月十日の大空襲で吾妻橋の生家を焼け出された私達は病身の母だけ疎開して、焼けなかった池袋二丁目の実作の一軒に父の友人一家と移り住んでいました。四月十三日のその夜は、父が用事のため疎開地に行き留守でした。十六歳だった私と、三つ下の弟は親がいないのを幸いと、空襲警報下をゆうゆうと眠っておりました。同居のおじさんの声に起きだして窓から見た北の空は真赤でした。弟をゆり起こして身支度(あのころは枕元にモンペ、防空頭巾、救急袋をきちんと並べて寝ていたものです)をして裏庭に出ました。

 そして数分後、突然ものすごい音で、飛行機が急降下してきました。腹の裏に響き通る感じでした。「飛行機が落ちてくる!」そう思った瞬間、「ダダダダダ!」すごい音に地面に身体を投げるように伏せました。そして何秒かして、そっと地面から顔を上げて家の中を見ました。その間、たった数秒なのに、直撃を受けた家の中は一面の火の海で、襖の上の方まで燃え上がっていました。夢中で傍に立っていた弟の手をひいて駆けだしました。庭の地面のあちこちにも焼夷弾が深くつきささって火を吹いていました。門を出た所で、知らないおじさんにどなられました。「逃げる奴があるか、戻って火を消すんだ」びっくりした私達は、また我が家の裏口に戻りました。

 わたしががたんがたんポンプ(井戸)で水を汲み、弟がバケツでバシャバシャと火の海にかけました。後で聞いたことですが、あのときの焼夷弾は油脂焼夷弾で水をかけても駄目だったそうです。天井まで燃え広がってもう駄目とあきらめた私達は表に向かって駆けだしました。でもその時は細い道の両側の家は二階まで燃え広がってあつくてとても通り抜けられません。

 火に道をふさがれた私達は、また庭に戻って来ました。そこで防空壕に入っていた同居の娘さんとばったり会いました。「信ちゃんどうしよう」手をつかみ合って地面に坐り込んでしまいました。死ぬんだな。瞬間にそう思いました。その途端、「馬鹿野郎、ぐずぐずしていると死んじゃうぞ」また頭の上でどなられました。今度は信ちゃんのお父さんです。ハッと目がさめた思いで立ち上がりました。そして防火用水の水をじゃあじゃあ頭から浴びました。防空頭巾の綿が水をふくんでずっしり重くなりました。あとは夢中で火の道を駆けだしました。下を向いて走る顔が、ジリジリ熱く、息苦しかったことが昨日のことのようにはっきり思い出されます。もう誰もいなくなった町中をしばらく走って後、ぞろぞろ逃げて行く人達に追いつきました。無言で私達もその後につきました。そのときになってはじめて弟は、と後ろを振り返りました。そこに黙々とついてくる弟を見つけた時ほど、弟を可愛いと思ったことはありませんでした。

 しばらくして異様な臭いに気がつきました。三月十日の時の臭いです。人のこげる臭いです。思わず回りを見回しました。そしたら、私の二、三人前をひいひい泣きながら支えられて歩いている人の足が目に入りました。モンペをはいているその人の右足がつけ根から焼けてぺろんと皮がむけた赤い肉のまま、なんといえない臭いでした。赤ちゃんをおぶったその人は悲痛な声で泣いていました。支えている人ははげますというより、どなりながらぐいぐいと引張っています。どんなに苦しいことでしょう。でも歩かなければ、逃げなければ焼け死んでしまうのです。私達も黙々と逃げ続けました。目的地があるわけではありません。ただ焼けてない所、焼けてない所と逃げ回りました。行く先行く先に焼夷弾を落とされたみたいでした。目の前にばらばら落とされると、右に左にと方向を変えました。そしてやっと千川の坂下の所でどうにか落ちつき地べたに坐り込んで朝を迎えました。

 昨夜のことが嘘のような静かな朝でした。でもいつになっても、どこに行ったらよいのか、なんの指示もありません。三月十日の時は、サッポロビールに行けとの指示に従って行ってみたらトラックで軍の救援隊が玄米のおにぎりを運んできてくれました。やっとサッポロビールにたどりついてそこで死んだ人もありました。私達がおにぎりを貰うため行列している傍で、死んでしまっている赤ちゃんを抱いてぼうっとして坐り込んでいる若い母親もおりました……。

 もう東京にはいられない、お母さんの所に行こう。あんなに疎開することを嫌った私も、二度の空襲に意地も何も無くなりました。我が家の焼跡に戻って疎開地からとんできた父に逢った時、「お前達、よく助かった、よく助かった」と繰り返す父の言葉にただ「わあわあ」と大声で泣きました。

(廣瀬さん)
少年部合宿と鼓笛隊コンクール
 総本山で開催された少年部合宿と鼓笛隊コンクールに、東京第二地方部のメンバーとして参加した少年部の皆さん方が感想を寄せてくれましたのでご紹介致します。

 私は初めて鼓笛隊員としてコンクールに参加しました。楽器はピアニカをたんとうしています。えんそうした曲は、『踊り明かそう』です。

 コンクールではみんなで心を一つにして、えんそうができました。れんしゅうではあまりでなかった音も本番ででて、今までひいたえんそうより一番よかったと思います。コンクールまでの一ヶ月間は、毎週広妙寺で練習をしました。二時間の唱題と二時間の練習をしました。東京第二は、金賞をとることができました。私は、今まで唱題と、練習をがんばった結果だと思います。金賞をとれてうれしかったです。

 今までいっしょにがんばってきた、中学三年生の人達が卒隊してしまうのは、さびしいですが、来年もみんなで力を合わせてがんばりたいです。

 私は、七月三十〜三十一日に、少年部大会鼓笛隊コンクールに参加させて頂きました。今年の自由曲は、「踊り明かそう」と言うとても難しい曲にちょうせんしました。

 私は小学六年生で、土曜日に学校に登校しなければならなかったり、学校行事と重なったりしてなかなか練習に通えず、音をあわせる事が出来ませんでした。そんな時、鼓笛の先生から「後は唱題しかない!」と言われましたが、たくさんの唱題をあげられず、苦しい時もありました。練習の時からなかなかそろわず、「今年は賞はとれないな。」とみんな心の中でそう思っていたと思います。

 日顕上人様や、たくさんの全国少年部の人達に演奏を聞いていただけるのだから、今まで練習してきたすべてを出しきろうと思いました。

 日頃の唱題や練習の時の一時間唱題のおかげで、東京第二地方部鼓笛隊は、心をひとつにして、いままでにない最高の演奏をする事が出来、「金賞」をとる事が出来ました。昨年は銀、今年は金、来年はぜひ、最優秀賞をとりたいです。

 鼓笛隊の練習は月に四回くらいあり、廣妙寺や大宣寺に通うのは、遠いのでとても大変です。それに必ず一時間の唱題があり、それはちっとも楽しくありません。唱題を三十分にしてほしいと思うことばかりです。でも練習はとても楽しいです。

 今年のコンクールの曲目は「踊り明かそう」という曲で、とてもむずかしい曲で本山でのコンクール直前の練習でも全然そろいませんでした。でも本番で、みんなの心がそろって、すばらしい演奏が出来、金賞をとることができました。その時イヤだったけど、東京第二のみんなと一時間の唱題をあげてきたからだと思いました。

 私は全国の少年部の仲間達の前で演奏することができて、とても嬉しかったです。

 東京第二が金賞をとってうれしかったです。

 たくさんごんぎょうができて楽しかったです。

 少年部登山に行って、たくさんの他の支部の人と行事に参加したり、げいか様のお話を聞けて、充実した二日間を過ごしてきました。

 私はこてき隊に入っていますが、今年は、私たち東京第二は金賞をとれてうれしかったです。来年は特別賞がとれるように、こてき隊での二時間唱題をしっかりしてがんばりたいです。おうえんおねがいします。

 こてき隊のコンクールを見たのが楽しかったです。うしとらごん行にもさんかできて、げいかさまとごん行できてよかったです。坊にもどってホッとしました。げいか様もいらっしゃるし、お坊さんもたくさんいるので、やっぱりお山はいいなと思いました。

 私は登山に行っていろんな事を経験しました。私が一番すばらしいと思ったのは、げいか様ってすごいんだなあ〜と思いました。後は鼓笛隊で東京第二が金をとってうれしかったです!最優秀賞をとった大阪の皆さんは唱題を二時間ではなく、三時間もしていたと聞いてすばらしいな、と思いました。

 私もアメリカでがんばってお父さんを折伏したいなと思います。

 今年もまた、佛乗寺の皆さんとともに少年部合宿登山に参加させて頂けましたことに感謝しております。子供たちのピュアな信心に触れ、また日本中から集まった同年代の子供たちの信心に触れ、親子ともに心が引き締まる思いを致しました。

 一泊二日という短い期間でありましたが、この時間に凝縮された内容の濃さに感動し帰路につきました。子供の成長とともに私たちの信心も、大きく成長していけますよう、日々の勤行・唱題に励んでまいりたいと思います。

 本当にありがとうございました。

 今年もまた友人と、子供たちと全員で参加させて頂くことができました。毎年感心することは、子供たちの純真さと、大人でも大変だろう思われる二日間のスケジュールを、子供たちが本当に楽しんで過ごしている事です。

 また、年々成長する子供たちの姿を、一年という区切りでしっかりと感じることができ、自分自身も反省することもできるすばらしい登山でした。
編集後記
 少年部のみなさん、すばらしい感想をありがとうございました。また、コンクールでの金賞本当におめでとう!やりましね!

 たまたま演奏を聴くことができた青年部のお兄さん・お姉さん達からも、今回のみなさんの演奏には本当に感動しましたという声をたくさん聞きました。

 でも、もっと大切な事は、今回お友達に誘われたり、お父さん・お母さんに連れられたりして大会に参加していた全国のたくさんの少年部のお友達を、皆さんの演奏で励ましたり勇気づけたりすることができた事だと思います。

 本当にがんばったから自分達も感動して、みんなにもそれを伝える事ができたんですね。また来年に向かって、技と信心をどんどんみがいてくださいね!

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日蓮正宗向陽山佛乗寺