平成18年4月号
四月度御講拝読御書
『諸法実相抄』

 「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりおこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」
(御書六六八頁)


 文永十年(一二七三年)五月、佐渡一谷にて著された御文です。此の時大聖人様は五十二歳でした。対告衆(御書を頂いた方)は最蓮房日栄です。最蓮房は天台宗の学僧でしたが、何らかの理由で佐渡に流罪の身でした。そのときに、大聖人様より教化(折伏)を受け、即座に天台の教えを捨てて日蓮大聖人様の弟子となりました。大聖人様が身延に入山された後に、赦免となり京都に帰り折伏に励み、晩年は身延の近くの下山に住み本国寺を開きました。

 最蓮房は、『生死一大事血脈抄』・『草木成仏口決』・『最蓮房御返事』・『祈祷抄』・『諸法実相抄』・『当体義抄』・『立正観抄』・『十八円満抄』・『得受職人功徳法門抄』等の重要な御書を賜っています。

 『最蓮房御返事』には、
「たとい山谷に籠居(ロウキョ)候とも、御病も平癒して便宜も吉く候はば身命を捨て弘通せしめ給ふべし」 (御書六四二頁)
とあります。病気がちであった最蓮房が、山中に住居を構えているときに、大聖人が与えられた御書です。一時的に山中に住まいをしていても、病気がなおり、元気を取り戻したならば、身命を捨てて折伏に励まなくてはなりません、という御指南です。

 また、『十八円満抄』の
「予が弟子等は我が如く正理を修行し給へ。智者学匠の身となりても地獄におちて何の詮かあるべき」(御書一五一九頁)
という御指南は、大学者と世間の人々から褒め称えられるようになったとしても、正しい仏法の理論から外れたものであっては地獄に堕ちることになります。仏の正しい理である法華経を、日蓮が修行したごとくにあなたも身で読むことが大切であります、という意味です。「身で読む」とは、折伏の修行をする、という意味です。これらの仰せで病気がちではありましたが、信心にも教学にも、一所懸命に励まれていたことがわかります。

 この『諸法実相抄』は、最蓮房が方便品第二の「諸法実相、諸謂諸法如是相〜本末究境等」までの経文の意味について質問をしたことに対し、大聖人がお答えになられたものです。

 大きく三段に分けることができますが、先ず一段目は、「諸法実相諸謂諸法如是相〜本末究境等の文を解明されて妙法蓮華経こそが真実の法であると仰せになられ、文底の上から諸法実相の意義を示されています。二段目では末法出現の御本仏であるという大確信の上から、末法の仏を流罪する等の行為は謗法の大きな罪を被ることになり、反対に大聖人を供養し、さらに弟子檀那となることは大きな功徳を積むことが出来る、と説かれています。第三段目では、南無妙法蓮華経の広宣流布が確実に実現することが示され、大聖人の弟子檀那となることは、法華経に説かれる地涌の菩薩の眷屬であり、成仏は疑いないものであると仰せ下さっております。「行学二道の御聖訓」の箇所は最後の部分に当たるところです。


○信・行・学

 『御義口伝』(一七六四頁)
「この本法を受持するは信の一字なり」
御文の意は、「御本尊様を御安置であっても、御本尊様への信心がなければなりません。入信が古くても、立派な仏壇があっても肝心の『信』がなければ功徳を積むことは出来ません」ということです。「信」が一切の基本であることは論をまちません。

 『三三蔵祈雨事』には、
「すりはむどくは三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ。提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ。是偏に末代の今の世を表するなり。敢へて人の上と思し食すべからず」(八七七頁)
とございます。修利槃特(しゅりはんどく)は愚鈍で釈尊の教えを理解することは不得手でしたが、信ずる心は誰にも負けませんでした。一方の提婆達多は六万種もある婆羅門の教えをすべて暗唱できるほどの者でしたが、「信」がまったくありませんでした。修利槃特は成仏が叶い、提婆達多は無間地獄に堕ちてしまいました。私たちも同じで、「信」が肝心なのです、と大聖人様は仰せです。

 その上で、日寛上人の『文底秘沈抄』を拝しますと、
「たとい信心有りと雖も若し修行なくんば未だ可ならず。故に起信の義記に云く『信あって行なきは即ち信堅からず。行を去るの信は縁に遇うて便ち退す」
とございます。意は、「たとえ信ずる心があったとしても、修行のないものは仏になることはできません。大乗起信論の注釈書には、信ずるという心のみでは堅固な信仰とはいえません。信ずる心と共に、行動を起こすこと、つまり修行が大切です。修行のない信仰は種々の悪縁により退転してしまうからです」ということです。

 この日寛上人の御指南から、大聖人様への絶対の信を根本としたところの修行が大切であることを知らねばなりません。

 その修行のあり方を、
『椎地四郎殿御書』(一五五五頁)で、
「法華経の法門を一文一句なりとも人にかたらんは過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし経に云はく『亦正法を聞かず是くの如き人は度し難し』云々。此の文の意は正法とは法華経なり。此の経を聞かざる人は度しがたしと云ふ文なり。法師品には『若是善男子善女人乃至則如来使』と説かせて給ひて、僧も俗も尼も一句をも人にかたらん人は如来の使ひと見へたり。貴辺すでに俗なり、善男子の人なるべし」
と仰せです。

 つまり、法華経の教えを一文一句でも人に向かって説くことは、過去世からの深い因縁かあると考えて下さい。方便品には、「また正法を聞かず、是の人は度し難し」と説かれています。文の意は、正法とは法華経のことで、この法華経を聞かない人は救済されないということです。法師品には、「もし是れ善男子善女人、乃至、則ち如来の使いなり」と説かれており、僧侶も信徒も尼も女性も、法華経を一言でも説く人は如来即ち仏の使いであるとされています。あなたは在家の俗人ですが、経文に説かれる善き男子であります。仏の使いであること疑いがありません、と述べられ、法華経のことを一言でも周囲の人たちに話してゆくことがいかに尊いことであるかを教えてくださるのです。仏の使いなのですからこれほど頼もしい立場もありません。もちろん、私たち法華講衆の身で拝すれば、こゝでの「法華経」は南無妙法蓮華経の三大秘法の教えです。

 さらに、『松野殿御返事』では、
「法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか。其の故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」(一〇四七頁)
とまで仰せです。意は、法華経を持つ者の悪口を言ってはなりません。そのわけは、法華経の信仰をしているひとは全てが仏であります。法華経の信仰者の悪口を言う人は仏を謗ることになります。ここでいう『法華経を持つ者』とは当然のことですが日蓮正宗の僧俗のことです。本宗以外の法華経は文底独一の法華経ではないからです。

 御本尊様を持ち、勤行をして唱題し、折伏をする人は仏である、という有り難い教えが日蓮正宗の信仰なのです。

 その根本も、『文底秘沈抄』で、
「それ本尊とは所縁の境なり、境よく智を発し智また行を導く。故に境若し正しからざれば智行もまた正しからず」
と日寛上人が御指南のように、御本尊様に向かい心より南無妙法蓮華経と唱えれば、御本尊様の功徳により我等凡夫も智慧を授かることができます。またその智慧により修行を真剣にすることを促し、修行の大切さを感じさせてくれるようになります。故に御本尊様が正しくなければ、智慧も修行も間違ったものとなります。

 「行学二道の御聖訓」は、御本尊様への絶対の信が根本であり、折伏も教学も御本尊様から離れたものであっては何の意味もないことを教えてくださる重要な御文です。

 いま総本山では御代替慶祝登山が奉修されております。御生骨の内拝をたまわるために、奉安堂では、毎日二時間近い唱題がなされています。

 大御本尊様の御前で唱題をすることのできるありがたさは申しようがありません。大きな功徳となって我が生命に刻み込まれることを確信します。

 佛乗寺も今月の二十九日に上棟式です。総本山での日如上人の御登座をお祝い申し上げる法筵と時を同じくして上棟式を執り行うことができることを有り難く感じております。佛乗寺法華講衆の皆様、「このとき」を逃すことなく、一歩前に進む信心を確立いたしましょう。
体験発表

〜 佛乗寺青年部決起部会より 〜
 こんにちは。皆さんお元気ですか?

 私は島根県に住んでいる木本です。今も家から車で二○〜三〇分程の功徳寺様へ預かり信徒として参詣させて頂いております。昨年末に佛乗寺の起工式に参加させて頂いてから早いもので、もう三ヶ月ですね。

 今日は雪が吹雪きましたが、毎年「ホーホケキョウ」と法華経を唱えたがっているうぐいすがまいります。兄が鳴き声を聞いたらしいので春は近いようです。今年は桜の開花が早いみたいですね。皆さんの折伏の華は咲いていますか?(ちょっと恥ずかしかったところで・・)

 現在、斉藤さん、斉藤さんのお母さん、息子さん、私の姉、友人の岩田さんが入信されています。主に斉藤さんと寺院の参詣・行事参加の徹底をし、育成折伏に活動しています。育成といっても、私も教えられ勉強中なので、いつも壁にぶちあたって落ち込んでいますが、とにかく、毎日の勤行唱題を一時間以上して、どうしても!という時に御住職にメールをして御指導を頂いています。とても良い事があると次に悪い事があって、逆に悪い事があると良い事がある。あぁ人って平等なんだなぁと感じています。だから努力し頑張れば、良い事も沢山あるのだと思います。

 今の就職先は何十倍の狭き門でした。折伏させて下さいと、朝参りやお寺で唱題し活動していたら、あきらめていた矢先に受かりました。そして会社で折伏をしていくうちに体調が悪化してきて病気が診断されました。私は軽い方だと思いますが、今は有難くも傷病手当金を頂きながら休職しています。薬を飲み休養をとれば必ず治ると言われ、何年も解決しなかった身体の痛みの原因が分かり、痛みは辛いですが、良くなってきているので安心しています。

 御住職、角田班長さんからも御題目で治るからと元気を頂きました。おかげで祈っていた様に思いっきり折伏できる生活をしています。すると、どんどん周りに同じ悩みを抱えた人、そういう親子が現れ、信心・お題目で治るんだよという話ができました。病気になったのも意味があったのだと、こんな私でも出来る事がある、今、自分に出来る精一杯をしようと唱題に力がこもります。

 そして功徳寺の婦人部長とも折伏に回り、今年は婦人部が異体同心して、活動の輪が広がり、成果をあげることができました。私も年末に御本尊送りをさせて頂き、その時は不思議と、「そろそろだ。今月中に必ず。」と強く思いました。

 そして次は、家族の折伏だと改めて決意し直していると、親戚の不幸が続き、入院する人もいました。折伏を祈り、新年を迎え、斉藤さんと活動を重ねていると、今度は母が足の骨折をしました。身の回りの世話をしながら、毎日祈り、上級試験に挑みました。勉強する度、奥深さに感動し、折伏の意欲が涌いてきました。そんなある日、父が鬼の様な形相で「家を出て行け、わしの前で口を開くな!」と怒鳴り上げられました。後で泣きながら御題目をあげ、御住職に御指導いただき「いつでも家は出られます。(略)御精進を」と本当に耐える時だと歯をくいしばりました。私にも悪い所があるはず、罪障もある、と唱題をして心を静め、それから以前より過ごし易くなり良かったと思っています。

 ある日、家にいると「ものみの塔」の人が母を訪ねてやってきて、留守と分かるとすぐ帰ってしまったので、急いで後を追いかけて話をしました。以前から来ている人ではなく、地区担当があるのでもう来ませんね。と言われました。すると何日かして会いたかった人が来られ、ずっと会って言いたかったので、「母はそちらに入信する気はない。」ときっぱり言いました。さらに私は、「私と一緒に日蓮正宗の信心をしてほしいので拝んでいます。勧められても入りませんよ。」と折伏がはじまりました。しかし、話を詰めようとしても時間がないからと話を終わらせられ、平行線で、破折用にとコピーしたものを準備していたのですが受け取ってもらえず、この前来た人に渡して下さいと、うまく逃げられた気がしました。私はそれでも又来るかもしれないとその後も勉強しています。

 そして功徳寺様の唱題行に参加し、唱題の時間を増やしました。祈れば祈る程、重大な事が起こってきて、何だかんだ言ってる場合ではなくなってきました。時間がもったいない。自分がやらなきゃ誰がやると思い、この命も仕事もお金も全て御本尊様に頂いたもの、感謝して、大切な助けたい人の為に使おうと真剣に拝んでいました。すると、普段の些細な不満や痛みがとてもちっちゃな事に思え、何かが剥がれた様な気がしました。更に活動し、推進会等に参加し、唱題しました。その直後、私は熱や咳が出て一〜二週間ぶっ倒れていました。すると、もう来ないと言われた「ものみの塔」の方が来られ話をしました。折伏も相手の仕事の為、タイムアップで、又来ると約束し、その時「随分勉強してるのね。」と言われましたが、教学試験の後でもあり「勉強しないと自信をもって折伏できないし、信・行・学がそろって一つですから。」と言い、正しい教えを伝える為に教学の大切さを感じました。

 熱が出て辛い時、御住職に御指導いただき、「逆立ちしても唱題は唱題です。むしろ、苦しい中での題目に普段より多くの功徳がある。(略)」と励ましを頂きました。薬をのみ勤行で祈り、起きれない時は心の中で唱題をし、入院していた頃を思い出し、こんな苦しみは本当の苦しみじゃないと思い、姉にも応援メールを送ると、「唱題がんばります。」と返信があり、涙が出る程嬉しかったです。本年の実践テーマを決意したり、言葉で言うのは簡単ですが、「己心の魔」に負けず、異体同心で乗り越え、今の自分があるのは御本尊様のお陰であり、知恩報恩を忘れず、甘えを断じ、折伏に精進していきたいと思います。

 最後に、昨日車のヘッドライトがキラキラ連なって輝いて見え、なんだか自分は幸せ者だと感じ、うるうるしていました。なぜなら、皆さんは仕事で大変な中、信心をされています。それでもお寺に集まって唱題し、活動し、励まし合い、明るく何でも話し合える同志がすぐそばにいて、御住職から法話や御指導をすぐに頂け、うらやましく思います。だけど、遠くにいても、それを感じられ、苦しい時には目を閉じると皆の顔が浮かびます。皆も頑張っているんだからと励みになります。いつも御住職、同志の言葉が有難く、御本尊様に守られて、幸せだと思います。これからも一緒に頑張りますので、宜しくお願い致します。御祈念があったら、皆で祈り共に喜び、明るく頼もしい青年部で信心を伝えて行きましょう。

 皆さんも御身体に気をつけて、慈悲と思いやりをもって、元気に頑張って下さい。

 春季登山宜しくお願いします。有難うございました。

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