平成18年9月号
日如上人猊下御指南
信心の根底になくてはならないもの

 ところが世間の人は、この誹謗正法の罪ということを知らずに、謗法を犯しているのです。われわれは信心しているから、それが謗法であるか否かが見抜けても、世間の多くの人たちは、謗法が謗法であることさえ知らないのです。ですから、我々はその方々に「あなたの行っていることは間違いですよ」と、教えていかなければだめなのです。相手の耳に触れさせていかなければならないのです。これが先ほどの御文に「耳根得道」とあった、相手の耳に妙法を触れさせることなのです。これが折伏なのです。

 ですから、ここに「慳貪等無き諸々の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依って餓鬼道に堕する」とお示しのように、謗法の人に近づいて、いつの間にか、その義を信じてしまうことによって餓鬼道に堕ちてしまうのです。

 このことは「智者に非ざれば之を知らず」とあるように、信心している我々は知っていても、他の者は知らないわけですから、これを知らしめていくところに折伏の慈悲行が存するわけです。

 ですから、人が溺れているのを見て助けない人がいないように、我々も、知らず知らずのうちに誹謗正法の罪を犯してしまっている人たちを救っていかなければならないのです。それが我々法華講衆の務めなのです。

 一人ひとりが本当に声を大にして「あなたの行っていることは間違いですよ」「創価学会を信じて『ニセ本尊』を拝んでも功徳はありませんよ」と言ってあげる。相手が抵抗しようがしまいが、言ってあげることが大切なのであります。

 こういったことが折伏の源流になければならないと思います。我々の信心の根底になければだめなのです。

 
※平成十八年度夏期講習会(第一期)の砌 大白法八月一日号 ただし題字は編集室
御住職ご指導
八月度御報恩御講(平成十八年八月十三日)

■「祈り」

 今月は第二次世界大戦が日本の敗北によって終結した月です。多くの命が失われました。広島と長崎では想像を絶する悲惨な出来事があり、国外に目を移せば、日本以上に多くの人々が被害を受けております。その人たちのことも思わなくてはなりません。世情では、靖国神社への合祀が取りざたされ、首相の参拝が大きな問題となっております。その首相は言います。「悲惨な戦争が起こることのないように、亡き人々の前で祈ることにより不戦の誓いをしているのだ」と。無責任なその場しのぎの軽率な言動に思えてなりません。「平和を祈る」とさえいっておけば何でも通るとでも思っているのでしょうか。

 皆様の中にも、戦地に行かれた方や直接的な被害を被った方もおられます。肉親を亡くされた方も大勢いらっしゃいます。また、戦後生まれの人たちにとっても、まったく無関係である、とはいえません。たとえば、空襲で祖父母が焼死したり、先祖代々の家屋敷を消失したり、戦争がなければお祖父さんの膝に抱かれ昔話の一つでも聞くことができたかもしれません。マンション住まいではなく庭付きの家が残っていたかもしれません。父親のお兄さんが戦死しなければ父親の人生も変わっていたでしょう。その子や孫もまた違った人生があったはずです。だから、人が人を殺す「戦争」にしっかりと向き合うことが大切なのです。どちらがよいとか悪いとか、戦争責任がどうこういうつもりはここではありませんが、直接、第二次大戦に関係しない世代であっても、大きな影響を受けていることを忘れてはなりません。それを自らの保身のために利用することは「堕獄」の行為です。

 戦争とは悲惨なものです。現在も人類は「正義」の名の下に殺戮を繰り返しております。しかし、「殺生」その時だけではなく未来永遠に罪を作る行為です。仏法では「殺生」が最も重い罪である、と説かれておりますが、それは、平等に持っている「仏性」を破壊してしまう大きな罪をつくっているからです。ですから、日蓮大聖人様は、「武力ではなく法の力をもって平和を実現することが大事なのだ」と『立正安国論』を示され、私たちにその実践を命ぜられたのです。

 その『立正安国論』で、
「汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか」(二四九頁)
と仰せです。四表とは東・西・南・北であり、天下のことであり、周囲のことです。

 意訳をいたしますと、「あなたが自らの身の安堵、すなわち穏やかな日々を願うのであれば、まず周囲が穏やかに治まることを祈らなくてはなりません」と拝せられます。

 大聖人様が教えてくださる「祈り」とは、自らのための祈りの前に、まず周囲の人々のことを思う祈りがあります。そして、他者のために祈ることが巡り巡って自らの身に返る、と仰せなのです。そのような祈りが本来の祈りの姿であり、本来の祈りの姿があってはじめて願いは叶うのです。

 ところが、先の首相のような祈りであっては、法の正邪を横においたとしても、祈りを利用する邪なものであり、かえって大きな混乱のもとになることを証明しております。そして御書の御文のごとく、やがては身を滅ぼすことになります。

 大聖人様は『四条金御殿御返事』( 一一七九頁)で、
「 日蓮は少(わか)きより今生のいのりなし。只仏にならんとをもふ計りなり」
と仰せになります。「今生の祈り」とは、現世でこのようになりたいあのようになりたい、という願いのことです。そのような祈りはしない、と大聖人様は仰せです。ただし、
 「されども殿の御事をばひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり。其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思ふなり」
と続いて仰せのように、法華経のために身命を惜しまずに精進されている四条金吾のためには、四条金吾が今生を平穏に過ごせるように祈っております、と述べられております。

 私たちが「祈り」を考える上で、大きな意味のある御指南であると思います。すなわち、大聖人様に祈っていただける自分になろう、ということです。そのようになろうと心を定め精進を重ねることが信心の目標となります。換言すれば、日蓮大聖人様のお心のままに、ということであり、それは、我執を捨てた清らかな心です。

 ご承知のように四条金吾は主君の江間氏を折伏し、同僚からも主君からも疎まれ、一時は出仕停止、所領没収という大きな難に見舞われましたが、それでも大聖人様の信仰を退転することなく純粋に貫き通した強信者であり、純粋な信仰心でした。そのような信仰であったからこそ、大聖人様から祈っていただくことができたのです。私たちも自らのことを祈る前に、広宣流布を祈り、折伏を実践するならば四条金吾と同じように、大聖人様から祈っていただくことができるようになります。心配はいりません。ですから、安心して折伏に邁進することが大事なのです。「四表の静謐を祈る」姿が折伏だからです。

『呵責謗法滅罪抄』(七一八頁)でも、
「何なる世の乱れにも、各々をば法華経・十羅刹助け給へと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」
と仰せです。この御文は、佐渡の島から四条金吾に与えられたものですが、これも前述した御文と同じように、四条金吾のことを懸命に祈ってくださる大聖人様のお言葉です。
ところが、
『四条金吾殿御返事』(一一一八頁)を拝しますと、
 「だいがくどのゑもんのたいうどのの事どもは申すままにて候あいだ、いのり叶ひたるやうにみへて候。はきりどのの事は法門は御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すままには御用ひなかりしかば、いかんがと存じて候ひしほどに、さりとてはと申して候ひしゆへにや候けん、すこし・しるし候か。これにをもうほど・なかりしゆへに又をもうほどなし。だんなと師とをもひあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし。又だんなと師とをもひあひて候へども、大法を小法をもってをかしてとしひさしき人人の御いのりは叶ひ候はぬ上、我が身もだんなもほろび候なり」
あります。当抄は、大聖人様に御祈念を願い出た「大学殿」と「右衛門大夫殿」は大聖人の御指導通りに事を運んだ結果、願いを叶えることができたが、「波木井殿」は法門は信じているようだけども、大聖人の御指導通りに事を運ばなかったので願いを叶えることはできないであろう、と仰せになり、大聖人様と信徒が心をあわせて祈らなければ願いを叶えることはできない、という厳しい御指南です。また、誤った法のもとで祈るのであれば、師檀ともに滅びてしまうと仰せになります。

次に、日興上人が広宣流布の祈りについて御指南下さった御文を拝します。
『五人所破抄』(一八七六頁)
【日朗の申状】
「日朗忝くも彼の一乗妙典を相伝して鎮に国家を祈り奉る」
【意訳】「日朗は、恐れ多いことですが、法華経の教えを受け継いで、永久に国家の安穏を祈っております」
【日向の申状】 
「天台法華宗の沙門日向謹んで言上す。乃至 法華の道場に擬して天長地久を祈り今に断絶すること無し」
【意訳】「天台法華宗の僧侶である日向が謹んで申し上げます。(中略)比叡山の法華経の道場にまねて、日向も国の安泰を祈ることを続けております」

【日朗と日向の申状を破折される日興上人のお言葉】
「次に祈国の段亦以て不審なり。所以は何、文永免許の古先師素意の分既に以て顕はれ畢んぬ、何ぞ僣聖道門の怨敵に交はり坐して鎮に天長地久の御願を祈らんや、況んや三災弥起こり一分も徴無し、啻に祖師の本懐に違するのみにあらず、還って己身の面目を失ふの謂ひか」
【意訳】「日朗や日向たちが、国の安穏を祈っている、と申状の中でいっておりますが、このことは日蓮大聖人の教えに照らし合わせるならば誠に疑わしい行いです。なぜならば、大聖人様は『立正安国論』を顕され、その中で、誤った教えにより国が乱れ、外国から侵略を受けることになる、国を安穏にし人々が平和に暮らすことができるようになるには、正しい教え即ち法華経の信仰をすること以外にない、と述べられ、執権北条時頼を折伏されました。その安国論の中で述べられた、『正法を受持しないのであれば、外国からの侵略を受けることになる』との予言は、十四年後の文永八年、蒙古来襲によって的中いたしました。この、『立正安国論』の中で示された、国が安穏であるための方程式に背き、日朗や日向は三類の強敵の中でももっとも悪質な、『僣聖増上慢』の者たちと席を並べて国の安穏を祈っております。このような行為は、宗祖日蓮大聖人様のお心に違背したものであり、師敵対の姿です。師の教えに背く僧侶である、と彼ら自身の面目も失うことになるでしょう」

 日興上人は大聖人様の仰せを寸分も違わずに護り伝えられたことがこの『五人所破抄』からおわかりいただけると思います。富士大石寺に大聖人様の謗法厳誡の教え、身延や池上にはない大聖人様の教えが富士大石寺に脈々と流れていることが明らかではありませんか。日興上人の厳格な信心を受け継ぐのが富士大石寺法華講衆です。
 
このように「祈り」から正邪が見えてまいります。
『法華初心成仏抄』( 一三一四頁)
「譬へばよき火打とよき石のかどとよきほくちと此の三つ寄り合ひて火を用ゆるなり。祈りも又是くの如し。よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり」
と仰せのように、私たちの祈りは、御本尊様を根本として、時の御法主上人の御指南を素直に実践してはじめて叶えられるのです。そして、この祈りこそ真実の祈りであり、真の平和国土を実現する唯一の祈りであることを心に銘じるべきです。

 大聖人様は、『祈祷抄』(六三〇頁)で、
「大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」
と仰せです。絶対に起こりえないようなことが起こる世の中になったとしても、御本尊様を信じる私たちの願いが叶わないことはない、という意味です。  

 偉大な御本尊様のお力を信じ、大聖人様の仰せのままに、真実の祈りを実践することが成仏の直道です。ご都合主義の祈りに惑わされることなく、さらなる精進を重ね、十一月二十三日を明るく楽しく和やかに迎えましょう。

以上
寺院建立に向けて 〜3〜
 『後悔をした今が、幸運のはじまり』という本のはじめに、次のような記述がある。

 ハーバード大学の心理学のエレン・ランガー教授は、「過程を重視する姿勢は、私たちの判断力を鋭敏にするだけでなく、自分自身を好ましいものと感じさせてくれる。ひたすら結果だけを重視する姿勢は、人生から喜びを奪う」と述べている。私はこの逆が言えることが大切なのではないかと思っている。

 つまり、人生から喜びを奪われた人が、結果だけを重視するようになってしまうということである。心の自由を失った人々、小さい頃から自分がしたくないことを強制的にさせられて生きてきた人々、自分の感情の自由を許されないで生きてきた人々、悲しいときに悲しいと言えなかった人々、嬉しいときに嬉しいと言えなかった人々、好きでないことを好きと思いこまされて生きてきた人々、そうした人々が、過程ではなく結果だけを重視するような人間になってしまったのではないか。

 このような人々が、いきなり「過程を大切にしろ」と言われても、そう思うことは無理であろう。結果のために、つねに喜びを犠牲にして生きてきたのであるから。いやな受験勉強ばかりさせられて、合格がなによりもあなたの人生に重要だと教えこまされて生きてきた人に、「人生で過程を重視しろ」といきなり言っても無理である。

 確かにエレン・ランガー教授の言うとおり「結果だけを重視する姿勢は、人生から喜びを奪う。」もっと言えば、結果だけが重要な役割を演じていると、生きることから喜びを奪われてしまうということである。現に今の日本は、このような人々であふれている。このような人々はよい結果に至る過程は辛いものだと思いこんでいる。それは、今まで結果のためにそれに至る過程はいやでも我慢するという習慣が身についているからである。それが今の日本から活力を奪ってしまっている。

 この本は平成十二年の二月に出版されたもので、日本の閉塞状況が社会全体にいきわたっていることが書かれている。私はこの記述を読んで、即座に『御義口伝』の御書の御文を思い出した。

 『化城を去って宝処に至ると云うは五百由旬の間なり。此の五百由旬とは見思・塵沙・無明なり。此の煩悩の五百由旬を妙法の五字と開くを化城即宝処と云うなり。化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり。念々の化城念々の宝処なり。』(十七四五頁)

 本来、信心修行は楽しいものであるはずだ。『四条金吾殿御返事』に、「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり。経に云はく「衆生所遊楽」云云。」と説かれている。

 六月二十四日の仏法セミナーで、御住職がうつ病やひきこもりについて仏法の立場から説法された。煩悩即菩提や観心の本尊について、判りやすく話してくれた。うつ病者は、一般に失敗の経験から何も学ばないらしい。余りにも後悔の念が激しく、何かを学ぶどころではないという。だからこそ、その苦しみを前向きな力に変えていく仏道修行こそ無上の生き方なのだ。そこに正しく自分の心を観じて、あらゆる執着を捨てるしかない。

 御隠尊日顕上人猊下が、平成十七年十二月の広布唱題会の砌に、「我に対する不当な執着が人間を不幸にする元であると思うのであります」と述べられた。

 過去の出来事はすべて教訓にして、常に日々仏道修行に励むことができれば、今という時を本当に充実して生きられるのだと思う。

(青年部 山中さん)
「東京第二地方部八月度拡大青年部長会に参加して」
 八月六日、府中市の妙観院にて拡大青年部長会が開催されました。当初、妙観院は第六十六世日達上人の記念館として昭和五十六年建てられた経緯があります。

 会のほうは、「平成二十一年に向かって法華講青年部の使命と実践」をメインテーマに座談会が行われました。その中で、仕事で忙しい人が多くて組織がまとまりにくい。家庭訪問で一緒に活動しながら車の中で本音で話ができ、人の輪の中に入っていけるようになった。お寺の中で壮婦、青年、少年部と別々に考える体質があるが、全体の問題としてとらえることが大切。鼓笛隊で自分を磨いている子は同年代に比べてしっかりしている。等々の声がありました。又、佛乗寺のメールによる折伏御祈念の取り組みも、かなり反響がありました。私としては峯崎副地方部長の「誓願とは大聖人様との約束」と本多青年部長の「信心は妥協してはいけない」この二つの厳しいメッセージは深く心に残りました。

 十一月二十三日という大きな節目を前に、折伏行においてはとにかく行動と、出てきた課題の克服、そして御住職をはじめとして組織力を生かした取り組みで必ず結果を出してまいります。

(青年部 長沼さん)
青年部唱題会のお知らせ


 毎週月曜夕方七時より青年部唱題会を開かせていただいております。

 七時から勤行をし、八時まで唱題しています。その中で、みなさんから集めた折伏の下種先の方々をお互いに真剣に御祈念させていただいております。  

 また、終了後座談会を開いて、現況を語り合い、折伏ができるように励ましあっています。たくさんの方に参加していただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
『立正安国論』正義顕揚七百五十年御命題御祈念について
院第一四五号
平成十八年八月二十五日

日蓮正宗宗務院

全国教師 各位
全国法華講員各位


平成二十一年『立正安国論』正義顕揚七百五十年
御命題御祈念について


 昨八月二十四日、教師指導会の砌、御法主上人より、「平成二十一年『立正安国論』正義顕揚七百五十年」における「地涌倍増」と「大結集」の御命題を必ず成就するため、宗内全僧俗が勤行・唱題行の折、左のとおり御祈念をするようにとの御指南を賜りました。

来たるべき平成二十一年・立正安国論正義顕揚七百五十年に当たり、地涌倍増と大結集を名実ともに必ず成就なさしめ給え。

 よって、本日から、朝夕の勤行、特に朝勤行の広宣流布御祈念の際には、必ず右御祈念を行い、もって宗内全僧俗が御法主上人猊下の御心に沿い奉って異体同心に御命題成就を真剣に祈念し、不断の折伏実践に精進せられるよう願います。

 また、広布唱題会や毎日の唱題行においても、御命題成就を心中に祈りつつ唱題し、仏祖三宝尊御報恩の御観念のあとに、必ず御命題成就を御祈念してください。
右、通達いたします。

以上
                    
 との御指南です。我々佛乗寺支部も、支部一丸となって実践してまいりますのでよろしくお願い致します。
御本佛宗祖日蓮大聖人御会式
平成十八年度 御本佛宗祖日蓮大聖人御会式
日時・・十月七日(土)十四時 
場所・・佛乗寺仮本堂

 本年度の御会式の日程が決まりましたのでご案内いたします。ともに声を掛け合い、ご家族そろって参詣し、御報恩の誠を尽くしてまいりましょう。
編集後記
「いよいよ明日が落慶法要だ、猊下様が佛乗寺にいらっしゃる!」

としたらどうだろう?

こんなのんびりしてられる?と自分に問うてみる。

・・・

さあ、ついついまだ先と思う心に、さようなら。くよくよしてる時間はないぞ、祈って、動いて、祈って、動いて。

みんなで精一杯がんばってまいりましょう!

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日蓮正宗向陽山佛乗寺