平成19年6月号
御報恩御講拝読御書

佐渡御書(御書五七八頁 別名「日蓮弟子檀那等御中」)
文永九年三月二十日 五一歳

佐渡御書 (御書五八三頁)

 佐渡の国は紙候はぬ上、面々に申せば煩ひあり、一人ももるれば恨みありぬべし。此の文を心ざしあらん人々は寄り合ふて御覧じ、料簡候ひて心なぐさませ給へ。世間に、まさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず。当時の軍に死する人々、実不実は置く、幾か悲しかるらん。いざはの入道・さかべの入道いかになりぬらん。かわのべの山城・得行寺殿等の事、いかにと書き付けて給ふべし。外典書の貞観政要、すべて外典の物語、八宗の相伝等、此等がなくしては消息もかゝれ候はぬに、かまへてかまへて給び候べし。此の文は富木殿のかた、三郎左衛門殿・大蔵たうのつじ十郎入道殿等・さじきの尼御前、一々に見させ給ふべき人々の御中へなり。京・鎌倉に軍に死せる人々を書き付けてたび候へ。外典抄・文句二・玄四本末・勘文・宣旨等、これへの人々もちてわたらせ給へ


【通解】

佐渡島で流罪の身となっている日蓮の手元には紙がありませんので、一人ひとりに手紙を書くのは困難です。またもれた人が一人でもいたら寂しく思われることもありますので、一同に宛てて出しました。この手紙を、日蓮の教えを守って幸せになりたい、と願う人は寄り合ってお読み下さい。そして、この中で日蓮が申し上げることをよくよくお考えになり、法難の意義を学び一人ひとりが強い信仰心を奮い立たせて下さい。一般に、大きな歎き事が起これば小さな歎き事は気にならなくなります。この度の北条時輔の乱によって京都や鎌倉で亡くなった人々は、乱を起こした側であっても制圧した側であっても、どちらにしてもどれほど悲しいことでしょうか。土牢に幽閉されている伊沢入道と酒部入道は如何しておりますでしょうか。川辺山城・得行寺殿等の人々は如何しておりますでしょうか。近況を手紙にして報告して下さい。仏教以外の書物ですが、貞観政要やその他の外典の書物、また倶舍・成実・律・法相・三論・華厳・天台・真言の八宗の相伝書等が手元にありませんので、手紙を書くにも不自由しております。是非とも佐渡まで送って下さい。この手紙は富木殿とその身内の人々、四条金吾殿、大蔵塔辻十郎入道殿、桟敷尼御前をはじめ日蓮の弟子檀那は一人残らず読みなさい。また、京都や鎌倉で軍のために亡くなった信徒の名前を手紙に書いて知らせて下さい。御回向を致します。外典の書物、法華文句の巻二、法華玄義の巻四と、法華玄義釈籖、勘文、宣旨などももってきて下さい。
海外信徒との交流会
挨拶 ウン・チェン・トワン

本日ここにご出席の笠原建道御尊師、上野御尊師、全ての御尊師方、法華講の皆様、マレーシアのメンバーの皆様、おはようございます。

はじめに、私たちのためにこの交流会をもうけてくださった笠原御尊師に御礼申し上げます。また、この交流会のために時間を作ってくださった佛乗寺法華講の皆様ありがとうございました。特に、今回は私たちが始めて皆様の新しく立て替えられた美しいお寺に参詣させていただくため、この交流会をとても楽しみにしてきました。

最初に、私たちの国マレーシアについて少々お話させていただきます。マレーシアの2400万人の人口は様々な民族より構成されており、主にはマレー系、中国系とインド系の三大民族があります。イスラム教は正式な国教ですが、憲法では信教の自由が認められています。

現在マレーシアには6000名以上の日蓮正宗の信者がいます。最も信者が多い地域はクランといい、首都のクアラルンプールより40キロ離れた町です。この町は私たちの布教所がある町であり、そしてマレーシアの最初の日蓮正宗の信者が入信した町であるために、現在信者数が最も多くなったのも当然のようです。

私たちの布教所は昨年の12月に7周年を迎えました。たとえ私たちが小さなグループだとしても私たちは断固として私たちの折伏をベストを尽くして実践していく決意をしております。今年の折伏目標は1200名です。これはいままでにない高い目標です。しかし、私たちは2年後に追った「立正安国論正義顕揚750年」地湧倍増を成し遂げるために、折伏目標を増やすことによって自分たち自身を励ましていかなければなりません。

それに加えて私たちの布教所の目標は2009年にマレーシア初の日蓮正宗の寺院の建立と信徒を1万名に増やすことです。そのために、私たちは意義ある「行動の年」を一生懸命に努力し、そして私たちの目標を達成するために、首尾一貫した勤行と唱題を通して信行を強くして参ります。

私たちマレーシア信徒は日本の寺院との交流会をいつも楽しみにしております。交流会の時に私たちはいつも法華講からたくさんの信行の手本を学ぶことができました。本日も私たちは皆様との実りある交流会を楽しみにしております。

最後に、皆様の貴重な時間を私たちと共有していただき、また交流会の準備をしてくださった皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。



体験発表:クー・ギー・チョアン

皆様、こんにちは。クー・ギー・チョアンと申します。
私は初めて日本での交流会に参加し、皆様に私の役員としての2年間の経験についてお話できることをとても光栄に思っております。

2003年に、私は同僚にマルチ商法を紹介してもらいました。何回かそのための会合に参加してから、副業としてやってみることに決めました。それは当然お金のためでした。何ヶ月かしてみたら、結果が出始め、常に営業の連絡や様々な研修に参加しなければならないために、私はだんだんと地区の会合や、布教所の活動をさぼり始めました。その当時、それが家族に負担をかけ、特に共働きで、三人の子供の面倒を見なければならない妻に迷惑をかけている原因であることに気づきませんでした。私たち夫婦は(ときどき)たまに妻が遅くまで仕事しなければときに私がお客さんに合えないことで喧嘩をすることもありました。もっと多くの問題が浮かんでくることに気づいたあと、私は信心を優先にして、2004年の4月に、再び地区及び布教所の活動に積極的に参加することになりました。

同じ年に、責任御尊師上野御尊師のご指導のもと、地区のメンバー全員の努力により、私たちは布教所建立して以来四年間の中で始めて折伏目標を達成しました。地区のメンバー全員がとても喜び、私はこの喜びを皆さんと分かち合うことができました。

地区の青年部担当として、私は常に青年部のメンバーと連絡をとり、すべての活動、特に月に一回の布教所で行なう青年部会に参加するように激励をしております。私はよく地区の青年部員をリードして、他の地区の青年部員とともに布教所の毎月の青年部会の準備をし、青年部交流会及び四者交流会に参加しております。

地区の青年部員が積極的に活動に参加するのをみて、地区長及び他の役員と相談した上で、地区独自の青年部会を2006年5月に始めました。最初の部会には目標参加人数より二人足りませんでしたが、青年部員の努力により、今私たちは平均して20人の部員が参加しています。青年部員の中で、より自信が持てるようになった部員や、地区そして布教所に貢献できるような部員が輩出したのをみて、とても嬉しくなりました。

青年部の担当以外、私は地区の会合の準備にもかかわっております。私の次の任務は他の地区役員及びサポーターと手をつないであまり活動に参加していないメンバーを励ますために家庭訪問をし、メンバーとともに唱題をすることです。

2005年の12月に行なわれた四者交流会の折に、自分は地区や布教所の活動には積極的に参加しておりますが、自分の家族を励ますことを怠ってきたに強く気づかされました。私は当時まだ六歳の娘に、どうして頻繁に会合に参加しなければならないと、聞かれたときに、きちんとその意義を説明せずに、ただ単に、「理由を知りたければ、ついて来い」としか答えなかったことを今でも覚えています。もちろん娘はついてきませんでした。

その交流会の後、私はより真剣に信心に励むことを決意し、ご本尊様の前でお題目を唱え、今までの自分について反省をしました。私は自分ひとりで勤行をする代わりに、今まで怠ってきた家族全員そろって勤行をすることを少なくても週一回するようにしました。私は毎日の唱題を続け、そして家族とともに信心をする喜びを分かち合えるようになりました。

私の祈りはすべて叶い、子供たちも言わなくても私と一緒に勤行をし、私がいないときも自分たちで勤行をするようになりました。妻も毎朝の勤行をより持続的にするようになり、地区の唱題会や布教所の広布唱題会に参加するようになりました。これらは私のご本尊様に対する確信をより深めました。

今となって、私は当初もし副業の仕事を続けたとすれば、このような功徳はいただけなかったと気づきました。大聖人様は崇峻天皇御書で、「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。」と御示しあそばされたように、もっとも大切なことはご本尊様に対してお題目を唱えることによって心の宝を積むことであり、それが私たちの信心をする目的にしなければなりません。

私は、母国マレーシアの広宣流布を達成するために、強い決意を保ち、メンバー同士と異体同心をして、それぞれの地区、及び布教所で最善を尽くして、頑張って行きます。

2009年に行なわれる 立正安国論正義顕揚七百五十年の大結集に マレーシアのメンバーとともに参加することを楽しみにしております。ご本尊様に対する感謝の気持ちを持って、体験発表とさせていただきます。

有難うございました。



体験発表:リー・チン・キョン

皆様おはようございます。私はリー・チン・キョンと申します。入信してから20年間ご本尊様から頂いた様々な功徳を、皆様と分かち合う機会をいただけることをとても嬉しく思います。

この20年の間、健康な体、幸せな家族、よい経済状況及び安定した仕事等々、私はたくさんの功徳を頂きました。

まず、私の健康について話したいと思います。若いとき、私はよく皮膚病にかかり、母親によると、父親も同じ病気に悩まされ、これは遺伝だと言われました。唱題をすることにより、この病気が自然に治り、持病の偏頭痛も同じように治りました。私は週に何回も偏頭痛がおこり、それを防ぐためによる10時から朝7:30までの長い睡眠時間以外に、昼休みに15分間昼寝をしなければなりません。そうしなければ、頭痛や眩暈がします。これらの症状は信心してからなくなりました。今私は午前零時や1時に就寝して、6時に起き、昼休みに昼寝をしなくても大丈夫になりました。信心し始めてからまもなく、このような功徳を頂きました。

次にお話しさせていただきたいのは家族のことです。基本的に、私は家族を大事にします。それは、母親が結婚生活において失敗したからです。その当時、私は中学3年でした。母親の友人は母親の問題をしり、母親を折伏しました。数年後、私は大学に入り、学校が離れていたために、叔母の家に下宿をし、週末にしか実家に帰らなくなりました。家の暖かさやよい家族関係がかけていたために、家に帰りたくなかったのです。

私は信心をして、会合に参加した際に、問題にぶつかるときは逃げるのではなく直面しなければ将来また同じ問題にぶつからなければならない、と教えてもらいました。自分の修行によって自分の環境を変えることができると学びました。ひとつの例として、今私の8人兄弟はお互いを尊重し合い、意思の疎通も問題ありません。これは、私たちが変わりたいという気持ちになってから踏み出した第一歩の結果です。

唱題をすることによって自ら変わる勇気がわいてくることに気づきました。私は8人兄弟の中の6番目です。その当時私は2番目の姉しか認めず、他の兄弟をみんな名前で呼び捨てていました。仏法を学ぶことによって、お互いを尊重しなければならないことに気づきました。自分の誤りに気づき始め、3番目、そして1歳しか違わない4番目の姉を呼び捨てすることをやめました。私は自分の態度及び兄弟たちに対する話し方を改めました。今、私たちはそれぞれ家庭を持ち、離れてすんでいますが、小さいときより仲がよくなりました。

もうひとつの問題は、私の家族は浮気をする傾向があります。私の伯父全員、自分の家族に色々な不幸を与えました。先ほども話しましたように、私の家族不和は父親が浮気をして外でまた家庭を作ったことに始まり、離婚に至りました。私の兄も同じように浮気の経験があり、幸いにその関係は長く続きませんでした。私の家族の男性はこのような宿業があるようです。

私は結婚して8年経ちましたが、夫婦の関係がとてもよく、女二人、男二人の四人の子供を授かり、とても家庭円満です。自分の修行により、正法を信じる幸せな家庭を築いていきたいと思います。健康なこどもたちの姿を見るたびに、妙法に対する報恩謝徳の気持ちがわいて来ます。

実は、私は子供ができにくくなる病気にかかったことがあります。医者の検査結果によると、私の精子の3%のみが正常であり、子供ができる確率はとても低かったのです。結婚して、ご本尊様に対する唯一の願いは次の世代の「地湧の菩薩の眷属」を育てられる功徳をいただけるように、子供を授かることのみでした。しかし、何が起ころうとも、それは私の修行を妨げるものだと思い、信心を続ける決意をしました。奇跡が起きました。結婚して三ヶ月経つと、妻が妊娠し、私たちの最初の子供は薬の助けなしに、授かることができました。今、彼女は七歳、その次の男の子は六歳、三番目の男の子は四歳、そして末子の女の子は四歳になりました。

経済状況に申し上げますと、信心し始める前と異なり、ご本尊様は必要な分を満たしてくださいました。私は一家の大黒柱として、経済的な心配もなく、広宣流布のために頑張ることができるようになりました。

最初の子供の出産の時、私は100リンギット(3千円程度)もありませんでした。そのために公立の病院で出産する予定をしていました。しかし、その病院はベッドの数が足りず、妻もまだすぐに出産の兆候がなかったために、家で待機するように言われました。出産予定日はすでに大分過ぎていたため、私立の産婦人科に行くようにと、母親に言われました。しかし、その当時、私立の産婦人科は1200リンギットもかかりました。妻が自分の貯金を引き出し、出産費用に当てなければならない窮地に陥ったことに、とても罪悪感を感じました。しかし、その当時と比べると著しい変化が起こり、今日私たち家族六人、そしてメイド一人を養うことができるようになりました。私たちはマレーシアのお寺を建立するための土地のご供養に参加することもできるようになりました。そして、一番ありがたいのは、毎年登山ができることです。これはすべてご本尊様から頂いた功徳です。

次に、仕事の面においては、私は同じ会社で15年間働いてきました。この15年の間、経済危機による不況が原因で、リストラがありました。私はリストラされることを恐れ、別の仕事を探してみましたが、よい仕事が見つかりませんでした。そのために、どうして祈りがかなわないのかと悩み始め、先輩に相談してみました。今でもはっきりと覚えていますが、そのとき次のように言われました。「自分の悩みに惑わされない、常に猊下様に頂いた御指南を中心に修行をしなければなりません。猊下様に頂いた御指南は大きいハンカチのように私たちの問題をすべてきれいに拭いてくれます」と。

また、少年の時代に別の先輩からもうひとつアドバイスをもらいました。それは「日蓮正宗の信者としての修行をすれば、基本的な衣、食、住には困らない」ということです。私はこの二つのアドバイスを基に信心をしてきました。その結果、私の収入は以前の十倍になりました。市場競争を受けなければなりませんが、仕事は信心修行を妨げることはありませんでした。私は毎年、営業目標を達成し、2006年には、2003年の目標と比べて、100万リンギットを超えた成績を収めることができました。

仏法の辞書には「不可能」という言葉はありません、この二つのアドバイスを常に心肝に染めて、私の信心修行の指針とします。硬い決意を持って、正直に祈れば、あらゆる障害や問題を乗り越えることができます。

私は若いときから、役員になった今も、常にスケジュールをきちんと計画をするように心がけております。仕事において、私は雇われている身分であり、家では、私は父親であり、夫であります。そして、布教所の組織において、私は役員です。すべて最善を尽くさなければなりません。

折伏をするときに、よく時間が足りないといわれます。しかし、それはすべて自分たちの計画しだいだと思います。今、私は毎日朝30分、夜1時間唱題をしております。常に信心修行は単なる繰り返し作業にしないように心がけております。毎日、今頂いている功徳はすべてご本尊様のおかげであると感謝の気持ちを忘れないように心がけております。

本日はありがとうございました。



質問:信心の確信を得た経験(瞬間)があれば教えてください
答える人 メリー・ヤップ

2006年11月、ご本尊様のお計らいにより、一人の婦人を折伏する機会に恵まれました。この婦人は二人の持病を持った業の深い家族に悩まされていました。この婦人のご主人は三、四年前から腎臓が萎縮し始め、去年の末の検査結果では、腎臓がすでに救う薬がないほど萎縮してしまって、いつ植物人間になってもおかしくない、とても危険な状態になってしまいました。ご主人の健康状態は日に日に悪化し、日に日にやせていきました。このようなときに、この婦人の弟さんが第3期の肺がんになったことがわかり、色々な医者に診てもらっても治る気配がなく、病状は悪くなる一方でした。その上に、首に腫瘍ができ、ボール半分程の大きさになってしまいました。

この婦人は最愛の家族が病気に苦しんでいても、なすすべがなく、毎日心配の中で、涙をこぼしながら、一日一日を過ごしていました。折伏を受けた後、この婦人の方はご主人、そして弟さんとともにお題目を唱えるようになりました。ご主人と弟さんは病気の影響で唱題することをつらく感じるようですが、ご本尊様に対する強盛な信心を持ち、毎日1、2時間のお題目を唱え続けました。入信して間もない2週間のうちに、活動に参加するために、布教所へ向かっている途中に、2回もの交通事故にあっても、彼らはご本尊様に対して疑いを持ちませんでした。このような姿を見て、私は自分の信心の姿勢を深く見直し、自分の姿勢を改めました。自分の生命の中に、仏様の慈悲が沸いてきて、この婦人の方と家族が信心を続けていけるように協力する決意をし、積極的に動きました。毎週の日曜日、彼らを布教所の唱題会に連れていくようになりました。私は今までこのようなことをしませんでした。私は彼らと勤行をして、活動に参加するように激励しました。

彼らを育成する中で、私は彼らのご本尊様に対する純粋さとまじめさは私が学ばなければならない点だと感じました。

そして、彼らの信心を通して、私は彼らの身に現れた現証を見ることができました。婦人のご主人は健康状態がよくなり、本来必要だった胃の手術もしなくても良いことになりました。経済の面においても、変化が見られました。弟さんの健康も日に日に良くなり、首のボール半分のような腫瘍も消えました。彼らのこの功徳をまのあたりにして、私は妙法の存在を感じると同時に、ご本尊様に対する信心がより強くなり、さらに積極的に修行をし、精進をして行きたいと思いました。



質問:御登山して「これが解決した」というような事があれば教えてください
チョン・チュン・ジン

私は2002年の末に、子供の病気からご本尊様に縁をし、入信いたしました。入信してから四ヶ月という短い間で子供の病気が著しくよくなったことを見て、私は2003年4月に登山をしました。その当時、私は三人の子供をつれて感激、感謝の気持ちで、大石寺に登山し、自ら大御本尊様にご報恩感謝を申し上げました。登山した後、帰国してから、子供はもっとも良い健康状況を保つことができました。

今、登山した同じ年のことを振り返って見ると、その当時、深く感謝する気持ちに欠けていて、登山した後にご本尊様から頂いた功徳をより深く感じることができなかったことを、とても遺憾に思っております。それは、私がその2004年、2005年に必ず毎年登山をする決意を持たず、日常の些細な事、仕事、そして子供の問題に振り回されていました。私は毎日忙しく、そして忙しい中で再び子供の病気に悩まされました。

御授戒を受けてから、夫と子供たちは罪障消滅のために積極的に信心をしなかったため、私たちは2005年に今までなかった最も厳しい試練にぶつかりました。私と夫は永遠に長男を失ってしまうとまで思いました。幸いにこのような危機的な状況の中でも、私はご本尊様に対する絶対的な確信を持ちつつ、正直に懺悔をしました。私の夫も積極的に信心をしなければならないことに気づき、二人の子供を連れて、ご本尊様の前で長男の回復を真剣に祈り、まじめに勤行唱題をするようになりました。

私たち家族は異体同心になり、愚痴をこぼさずに、真心を持ってご本尊様の前で懺悔をしたことによって、長男が苦しみを乗り越えて、病気から回復し、安定した状態に戻ることができました。

大聖人様は、はっきりと「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなし」とご教示あそばされましたように、私たちは「大悪を(興)これば大善きたる」と確信することができました。

この2005年という忘れられない生死の分かれ目という厳しい試練を乗り越えた後、私はご本尊様に決意をしました。ご本尊様の偉大なる妙法に対して御報恩謝徳するために、私は一生広宣流布の使命を担い、布教所の活動に合わせ、御尊師のご指導の下で、周囲の様々な苦難の中で生活している人々を救っていくことを決意しました。そのとき、私は登山できることが如何に有り難いことかを深く感じることができました。2005年には、長男は10ヶ月もの間布教所の御報恩御講に参詣することができませんでした。長男はベッドに横になって、今まで毎月の布教所の御講に参加するのに愚痴をこぼしたりしていた自分を思い出し、とても恥ずかしくなったそうです。2005年のこの10回にわたる毎月の御講に参加するたびに、ご本尊様に向かって涙をこぼし、長男が御講に参加でき、自発的に広宣流布の偉大なる使命を担う御仏智がいただけるように御祈念をしました。このような状況の中、私は毎日の朝夕の勤行と唱題の時に、毎年家族そろって登山できるように決意をしました。ご本尊様の御慈悲のお陰で、長男は回復し、普通の生活に戻ったのみならず、私は2005年の末に、早期退職することができました。これにより、私はより多くの自由な時間を広宣流布のための活動に当てることができ、ご本尊様に御報恩謝徳することができました。そして、2006年には、家族とともに三回登山する願いも叶いました。

もし、登山をして問題を解決できたかと聞かれましたら、私は確信を持って、感謝の気持ちで自ら大石寺に参詣して御報恩謝徳をしたい心さえ持っていれば、この決意でいただける功徳はもうすでに計り知れないものがあります。この功徳で万難を排除でき、祈りは必ず成就します。私たちは必ずしも登山した後ではなく、このような純粋な信心をもった時点からすでにご本尊様からいただく功徳を感じることができます。

ありがとうございました。
今月の主な行事
6月1日 永代経
6月3日・ 4日 総本山並びに末寺において広布唱題会
6月9日・10日 御報恩御講

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日蓮正宗向陽山佛乗寺