第13回

池田大作仏を演出する“観念文”

- 創価学会 - “観念文”を再び改変
 今回五座三座の勤行と観念文の変更にこと寄せて、池田大作を生き仏にするべく巧妙な手段を講じて会員を欺こうとしている。それは、「広宣流布祈念」という項目で、

「創価学会初代、二代、三代の会長を広布指導者と仰ぎ、その死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げます」

として、これまでの観念文にはなかった「三代」を付け加えたことである。先の会則変更で「永遠の指導者」となった池田大作であるが、今回の変更でついに「生き仏様」となった。会員たちは朝夕この観念をすることによりいつの間にか「生き仏様」を心の中に刷り込まれ、本尊が池田の写真になってもおかしいと思わないように洗脳されるのである。悪巧みはここに極まる。後は何をしても会員には許されるのだ。

 もっとも、池田にすれば「三代」より「初代」になりたいところだろう。三代目はどこまで行っても三代目でしかない。そうすると、創価学会という名前を改めて、「池田教」とするしかない。そうすれば「初代教主」になることができる。これも時間の問題である。何しろ心臓に重大な欠陥を持っている池田大作であるから、時間がない。焦っているのが手に取るように分かる。法華経で説かれる永遠の生命など、毛頭信じることができないのが「凡夫池田大作」の真実の姿なのである。

 日寛上人の御本尊をまねた池田本尊を拝んでいる創価学会員諸氏よ、時代がいくら変わろうとも勤行は信仰の基本であることを忘れてはならない。信仰の基本をないがしろにして広宣流布と叫んでもそれは砂上に楼閣を築く愚かな行為である。功徳がでるどころか、反対に地獄の苦しみを受けるだけである。

 冷静に考えてみようではないか。仮りに、亡き初代、二代に対し、「報恩感謝」をしよう、と池田が思うのはあり得るかも知れないが、(牧口常三郎氏も戸田城聖氏も草葉の陰で迷惑をしているであろう)秋谷栄之助をはじめとする弟子たちが、「是非池田先生にも勤行の時に報恩感謝の文字を入れた観念をしたい」という申し出があったとしても、「ちょっとまて、おれはそんなに偉くないぞ」というのが御書の中で説かれる

「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり」(四条金吾御返事一一一七頁)

の境界ではないか。日頃から「おれは偉い」という池田のことだから、弟子に対してこのようにさせたのが本当のところであろう。まるで松本教祖と同じ構図に見えるが如何であろう。

 この一点をとっても、池田大作が仏道を求める者と対極にある人物であることがかわかるはずである。

「創価学会が宗門と離れたら脱会する」と言っていたあなた。
「御本尊が変わるようなことがあったら考える」と言っていたあなた。
「日蓮大聖人以外に仏様はいない」と言っていたあなた。

 ここらで、富士大石寺の大御本尊様のもとにお帰りにならないと成仏はかないませんよ。それとも池田生き仏様と地獄に行きますか。

 あなた次第です。そして、あなたの眷属の成仏も。

仏乗寺 笠原建道

文責編集部