第16回

秋谷栄之助創価学会5代会長は
「池田大作が嫌い?」


投稿/匿名さん
秋谷栄之助創価学会5代会長は「池田大作が嫌い?」か


 中央公論2月号に秋谷栄之助創価学会会長のインタビューが掲載されている。タイトルに「権威だけの宗教は終わった」とあり、日蓮正宗から破門されたことを怨みがましく書いているのかと思って読んでみたところ、そのようなことを言っている箇所もないではないが、むしろ、聞いたこともない大学や団体から名誉学位とか名誉何とかを与えられて得意になっている池田大作元会長に対する強烈な皮肉ではないかと思った。それは、勲章を胸にぶら下げた池田氏こそ「権威」をこの上もなく有り難がる姿を投影しているからだ。 権威や権力をこれほど欲しがる者も珍しい。ガンジーやトインビーの名声を利用し、ナポレオンまで自らの身を飾るために侍らせる神経はどのように表現されるべきであろうか。彼がそのように振る舞うのは、自らの出自や学歴を誤魔化そうとするためなのだろうか。まさに、大聖人の精神とは対極にある。

日蓮大聖人様は
「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり」(四菩薩造立抄 1389頁)


と仰せになる。このご教示は、「御本尊様を受持する一人ひとりが最も貴い存在である」というものである。相対的な地位や名誉を自慢してはならない。あくまでも御本尊様と「私」だけの関係において決められるのもであり「絶対の世界」と言い換えることができる。つまり、御本尊様からお誉め頂ける信仰、ということである。

 それにしても狡い、と思えることも書かれている。それは、「戸田記念国際平和研究所」という国際とか平和とかをつけた怪しげな組織のことである。そこの所長には「イラン人の方」を迎えたそうであるが、これまで「邪教」として執拗に攻撃した相手に、手のひらを返すようにして接近し、あわよくば取り込もうとする役目があるようだ。そこの所長に外国人を充て池田大作の正体を覆い隠そうとする姑息さ。日蓮正宗から破門された後、日々に「池田教」の色合いを強くし、「池田大作の教祖化」に突き進みながら、その一方で、日蓮大聖人の教えの純粋さからの逸脱を指摘されるようなことに対してはあらかじめ予防線を張るのである。この施設に「戸田」という名を冠したことも、失敗したときの逃げ道の一つなのである。全国にある創価学会の施設には「池田・・・」としながら、都合の悪そうなものには「戸田」の名を使う池田大作。世界に例を見ない、いやヒットラーの継承者か。どちらにせよ、悪巧み、卑怯、狡猾、破廉恥、あくどい、恥知らず、図々しい、姑息。厚かましい・・・・・。全てあてはまる。

 そんな池田元会長を秋谷栄之助現会長は嫌いなのではないか。だから、先生がいなくても「維持できる」という発言につながるのであろう。

 ともあれ、このようなことが月刊誌で語られるようになったことは、池田体制の終わりの始まりであろう。第二次大戦後戸田2代会長によって創価学会が再編成されまもなく60年を迎える。国家にも企業にも60年のサイクルがある、といわれる。符合するような秋谷発言である。

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