日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


週刊向陽/第 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 号

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第170号 目次  平成18年 4月12日

○ 御霊宝虫払大法会並びに御代替奉告法要
〜 総本山大石寺において厳修 〜
○ 日蓮大聖人御報恩御講 奉修
○ 日蓮正宗に帰ろう


○ 文永5年4月5日  大聖人様、「立正安国論御勘由来」をご述作
○ 文永11年4月8日 第三の国諫
○ 建治2年4月8日  日目上人様、日興上人様により得度
○ 文明4年4月7日  総本山第十一世日底上人様御正当の日
○ 元和8年4月7日  総本山第十五世日昌上人様御正当の日
御霊宝虫払大法会並びに御代替奉告法要
〜 総本山大石寺において厳修 〜

 4月6日・7日の両日、総本山大石寺において、御法主日如上人猊下大導師のもと、御霊宝虫払大法会並びに御代替奉告法要が厳粛に奉修されました。

 初日の6日には、総本山第六十八世御法主日如上人猊下大導師のもと、御隠尊日顕上人猊下が御出仕あそばされ、御代替奉告法要が御影堂において奉修されました。

 夕方より御影堂において厳修された御法主日如上人猊下初転法輪、その後の布教講演会は客殿においても多数の方々が拝聴することができました。

 7日2時半より勤行衆会(丑寅勤行)、7時より御開山御講、そして9時より客殿において御霊宝虫払大法要が奉修され、宗祖日蓮大聖人御真筆御本尊並びに日興上人を始めとする御歴代上人御書写の御本尊を拝し奉ることが許されました。その後、御真かん巻き返しの儀が奉修され、大講堂においても拝聴することが出来ました。

 午後より奉安堂において御開扉を賜り、日如上人猊下、日顕上人猊下の御許、日蓮大聖人御生骨の御内拝が許されました。

 2日間にわたり奉修された御霊宝虫払大法会並びに御代替奉告法要に引き続き、4月8日より御代替慶祝登山が盛大且つ厳粛に奉修されております。

 この機会に巡り会うことが出来た喜びを胸に、第六十八世御法主日如上人猊下の御許、更なる大前進を開始致しました。


 尚、下記「今日の総本山」においてもご紹介しております。

御代替慶祝登山
御霊宝虫払大法会並びに御代替奉告法要
日蓮大聖人御報恩御講 奉修
 今月の宗祖日蓮大聖人御報恩御講が、8・9日(並びに13日)に奉修され、御住職の御導師のもと、仏祖三宝様に厚く御報恩申し上げました。

 法要の後、御書拝読と御法話を賜りました。

 来月の御講は、13日(御逮夜)・14日(御正当会)に奉修されます。ご家族並びにご縁の方々共々参詣させて頂きましょう。
日蓮正宗に帰ろう
 「最近、既成教団の寺に学会員だった元の檀家が回帰するケースが増えているという。“友人葬”がその現象に拍車をかけているようだある住職は語っている。(「仏教タイムス」の記事)」

 創価学会員が亡くなると「学会葬」「友人葬」或いは「同志葬」と呼ばれる葬儀が、学会幹部によって行なわれていますが、やはり世間の評判も悪いようです。

 正法に縁したことのない一般の人たちからも「なぜお坊さんは来ないのか!?」「あんな葬式じゃ、故人もうかばれない・・」「あんなヤツがお経を唱えたって有り難くも何とも思わない・・」等々、新興宗教の信者ではない一般の人たちの目にも、「僧侶不在の葬式」には大きな違和感があるようです。

 「既成宗教」とは言いつつも、それが何宗なのかは記事からは分かりませんが、「ある住職は語っている」とある以上、既成仏教宗派のいずれかの宗派であることは間違いないようです。確か、学会員の某ロック歌手が謎の死をとげた際、学会葬ではなく日蓮宗の寺院で葬式が行なわれたことがありましたが、いくら池田大作創価学会が好む芸能人などの有名人になったとしても、死に方がよくないと、池田創価学会にとって、友人葬ではマズイようです。

 日蓮宗の僧侶が大石寺を一般見学しただけで、「身延に迎合した大謗法!」などと日蓮正宗を悪口誹謗しておきながら、末端の学会員が亡くなれば日蓮宗や真言宗や念仏宗で葬式をだしても構わないとする池田創価学会・・・。つまり、「(もし、世間体などの理由により、「学会葬」ができないのなら)日蓮正宗以外なら何宗でも構わない・・」というのが最近の指導のようです。

 少しでも大聖人様、日興上人様の弟子信徒としての自覚があるならば、学会葬で良いはずはありませんし、日蓮宗の葬儀で良いはずがありません。真言宗や念仏宗の葬儀で良いはずはありません。

 一般の既成仏教の信徒の方々は、一応「仏・法・僧の三宝」を尊ぶことが仏教において特に大切であるということくらいは知っております。しかし、お釈迦様を尊んでいるようであっても、真言宗などの様に大日如来の草履持ちにも満たないなどと言って釈尊を貶しておきながら、さも「仏教」であるかの様に見せかけてきた真言宗の間違いについては気付いておりません。「教外別伝」と言って釈尊の教えはお経の外にあると主張する禅宗の僧侶を呼んで、葬式でお経を唱えてもらうことを「仏教」だと信じている方々も多くいます。女人成仏は法華経以外には説かれていないにもかかわらず、「うちは代々念仏宗だから」という理由で死んだおばあちゃんに念仏を唱える女性や死んだ母親に念仏宗で供養する親不孝な息子も世の中にはいます。

 そういう方々に真実の仏教を伝え、その道理を説き、悪人も女人も畜生すらも一切を成仏へと導く真実の仏様、即ち日蓮大聖人の大慈大悲の御教えをお伝えしていかなければならないはずが、今の創価学会は如何でしょう・・・?まるで真言宗が釈尊の仏法を都合よく利用しながら大日如来をたてて多くの人たちを誑かしてきた様に、日蓮大聖人の仏法を創価学会の都合の好いように利用しながら池田大作をたてて多くの人たちを誑かしている創価学会・・・。

 結局、本尊と筋道に迷える人たちは、実は死後を信じていない無信心の者又は無神論者、あるいは教えは何でもよくて世間体だけで葬儀や信仰を捉えている人たちなのではないでしょうか。そういう方々ほど修行もろくに行なわない自称宗教評論家や作家が書いた大乗非仏説等をそのまま主張したり、或いは信仰心は人それぞれだからあなたに指図される理由はない・・・などと必ず正しい信仰と正しい修行に対して愚痴をこぼします。結局のところ、正しい信仰によって各々の生活の中で自分自身を矯正したり、自分自身を省みたりすることを凡夫は嫌いがちです。他のせいにしたがるのです。そして、いつの間にか一切衆生を成仏へと導くべき仏教が実は仏教ではなくなり、自分の我見(真言は弘法の我見、念仏は法然や親鸞の我見、創価は池田の我見、無信心の者は本人の我見)に陥ってしまうのです。

 「あの人はあんな死に方をした・・・」「信心していながら病気になったではないか・・・」「信心していながら貧乏ではないか・・・」等々、正法信仰者に対する世間一般の誹謗中傷は、結局のところ創価学会と同様に現世利益的発想でしかなく、一切衆生を成仏へと導く慈悲の仏法の精神からはかけ離れております。

 「あんな死に方」や「あんな病気」「あんなに貧乏」になることも、すべて仏様が説かれた「苦」という前提であって、それをただ苦しいだけで終わらせないところに本当に大切な信仰の意味があるのではないでしょうか。

 謗法の創価学会から抜け出せず、非業の死をとげてしまった身内がいらっしゃるならば、寧ろ遺された者が正しい追善供養に励むべき選択肢が残されているではないですか。またそれは創価学会に限ったことではありません。

 「あんな病気」「こんなに貧乏」も、正しい信心修行の糧にしていけばよいではないですか。それをただあげつらうだけで、惨めな者だと莫迦にするだけでは、寧ろそれは謗法の発想であり、私達の信心とは全く異なります。

 一つや二つ悩みや心の傷があったとしても、ともに六根清浄の信心を励ましあい、お寺に足を運んで、御住職とともにお題目を唱えていこうではありませんか。

 謗法を悔い改めて正法を求める人々に対しては、それが如何なる事情の持ち主であっても、日蓮正宗寺院の門戸は開いております。


創価学会の葬式(友人葬・同志葬)は、大聖人様の御教えに反する謗法

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