日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


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第225号 目次  平成19年 6月28日

○ 創価学会と公明党
〜 学会員の皆さんも共にお考えください 〜


○ 大永 7年6月24日 総本山第十二世日鎮上人様御正当の日
○ 明治23年6月24日 総本山第五十二世日霑上人様御正当の日
○ 大正 元年6月 7日 総本山第五十三世日盛上人様御正当の日
創価学会と公明党
■創価学会員の皆さんへ

 もうすぐ参議院選挙です。

 先日、公明党の太田代表の「年金問題を選挙の争点にするのではなくて・・・」などという趣旨の発言がテレビに映し出されていました。

 ご存知のとおり、「選挙の争点」は一つではありませんし、「争点」を決めるのは選挙民自身かと思います。強行採決ばかりが目立つ現在の与党の姿を見ておりますと、こんな人たちに新しい憲法をつくらせてはならないと考えるのも争点の一つです。こんな人たちに9条や20条等々・・・を含む「憲法」を弄らせてはならないと考えるのも争点の一つです。

 公明党が野党だった頃と、公明党が与党に入ってからを比べてください。

 生活はよくなったでしょうか?社会不安は減ったでしょうか?大手事業者等による詐欺的行為が問題になっている介護保険制度・・・税金の無駄づかいや国や自治体の借金は減ったでしょうか?竹入さん等が委員長を務めていた頃の公明党は、自衛隊の海外派兵に賛成していたでしょうか?「公明党議員が厚生労働大臣として“百年安心”などと言っていた年金問題はあれからたった数年・・・今どうでしょうか?

 そもそも創価学会員の方々は、なぜあんなにも公明党を支持する必要があるのでしょうか?選挙運動に功徳があるなどと言っているのは池田大作さんや学会幹部・公明党議員ぐらいでしょう。戸田城聖さんはそんなことは一言も言っておりません。戸田さんは寧ろ池田さんとは正反対のことを言っております。

 「創価学会が議員の全体を占めて日本の政治を左右するという、とんでもない間違った考えをおこしているらしい。(乃至)今の社会党や自民党のけんかのように、こっちの票が多いから、さあ国立戒壇を造るというような国立戒壇じゃいかんのです。(創価学会第二代戸田会長講演集)」と。
 
 「国立戒壇」などと言っているのは、今はあの新興宗教顕正会ぐらいでしょうが、今の公明党はどっちの票が多いか・・・どっちが与党か・・・どっちの党に付けば与党でいられるか・・・といった利己的な考えが異常に強いのではないでしょうか。

 政治的なことよりも、先ずその利己的な考えを改める必要があるのではないでしょうか。そして、どっちが多いか少ないかではなくて、どちらが正しいのか、どちらが間違っているのか・・・つまり「日蓮正宗の正しい信仰に戻るか、創価学会という新興宗教に留まるのか」を考えて頂きたいと思います。

 大聖人様は、「仏法は体、世法は影」とお示しです。公明党の本体である創価学会が間違っているからこそ、その間違った思想に基づく政治も当然誤ったものになってしまうのではないでしょうか。

 間違ったもの、邪なものに協力することは、「邪」を増長させてしまいます。創価学会幹部等が「日蓮正宗に戻ったなら多額のお金が必要になるから、日蓮正宗寺院に近づいてはならない」などというような変な話をしているのを聞いたことはありませんか?

 どうぞ真実をご自分の目で確かめてください。邪(よこしま)なものは、必ず嘘をつきます。例えば「総本山大石寺では桜をみんな切ってしまった」とか、「総本山大石寺の松はみんな枯れてしまった」とか・・・一見すればバレてしまうような嘘でも平気で吹聴致します。

 選挙運動に功徳があるなどと本当に信じ込んでいる方は、どうぞ身も心も選挙運動に捧げてください。そして、その結果をご自身で体験してみてください。「邪」な思想を広めることに協力してしまった報いをご自身で体験してください。

 本当に正しい御教えにより正しい心が培われた方であるならば、現在の公明党の様に「争点」から逃げるのではなく、個々の問題に対して柔軟且つ適切に役目を果たせるのではないでしょうか。

 選挙中であろうと選挙後であろうと、自民党支持者であろうと民主党支持者であろうと共産党支持者・他であろうと、そして今現在創価学会・念仏宗・真言宗・禅宗等の信徒であろうと、日蓮正宗寺院の門戸はすべての方々が正しい御教えを身につけて成仏する為に、過去も現在も未来も変わらずにずっと開いているのです。

 選挙が始まろうと、選挙が終わろうと、それらは一瞬の世法の中の出来事に過ぎません。真実不変の仏法は、富士の麓総本山大石寺にましますのです。

 創価学会員の方々は、選挙運動というものに身も心も捧げて一喜一憂するだけの空しい一生を過ごすために生まれてきたのでしょうか?

御聖訓に曰く、
「一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」(『富木殿御書』 御書一一六九頁)

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