日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


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第235号 目次  平成19年 9月29日

○ 秋季彼岸会 奉修


○ 文明14年9月29日 総本山第九世日有上人様御正当の日
秋季彼岸会 奉修
 秋のお彼岸にあたり、恒例の秋季彼岸会が御住職の御導師のもとに奉修されました。

 また、お彼岸の期間中、多数の法華講衆がお寺に参詣され、御塔婆を建立し、先祖代々諸精霊へ心より追善供養申し上げました。
自分勝手な信仰
■創価学会員の皆さんへ

かつて池田大作さんは、
「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらは唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである。」(広布と人生を語る8−228頁)
とはっきりと言っておりました。

現在の池田大作さんや創価学会は如何でしょう?「唯授一人・法水写瓶の血脈相承にのっとった信心」は、一体どこにいってしまったのですか?

「五座三座の勤行」、「御書」、「総本山から御下附頂いた御本尊」、「唯授一人・法水写瓶の血脈相承にのっとった信心」・・・そのすべてを現在の創価学会は蔑ろにしていると、心のどこかで気付いているのではないですか?

「法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである」ならば、現在の創価学会員が拝んでいる本尊とは、一体いかなる本尊だと言えますか?

御本尊を在家が勝手に作ってよいなどということは、勿論「御書」のどこにもありませんし、かつての創価学会の指導の中にも、どこにもないことはご存知のはずです。

「猊下の悪口を言うようになったら脱会する」、次は「本尊が変われば脱会する」・・・その次は「池田大作さんが死んだら脱会する」と言うのでしょうか?・・・結局自己中心の信仰でしかないのです。ご都合主義の信仰以外の何ものでもありません。お正月は神社、お盆彼岸はお寺、結婚式は教会・・・。全く同じです。

本日今すぐ、池田創価学会という自分勝手な新興宗教から脱会致しましょう。

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