日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


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第244号 目次  平成19年12月 7日

○ 広布唱題会


○ 文化2年12月3日 総本山第四十三世日相上人様御正当の日
○ 明治15年12月   横浜問答:大石寺本門講、田中巴之助(後の
               田中智学)等が率いる横浜蓮華会を論破。
広布唱題会
 12月2日、毎月恒例の広布唱題会が総本山を中心に全国の日蓮正宗寺院において執り行われました。

 広布唱題会は午前9時より一斉に執り行われ、御住職の御導師のもと心を一つに広宣流布をご祈念申し上げました。
横浜問答
 明治15年(1882)8月下旬、横浜の富士派(大石寺)本門講の講員が、身延一致派の流れを汲む蓮華会(会長・田中巴之助)の会員を折伏し、これが発端となって双方の教義論争がはじまりました。

 当初は公場対論の約束でしたが、蓮華会からの要求により文書による問答に変更し、同年9月、双方で「交互に7日以内に答弁書を差し出すこと、また対決の結果、返答に窮し自己の誤りを認めた方が相手側を正義としてその講に加盟する(趣旨)」という約定を結びました。

 同年10月3日に富士派の本門講側から、一回目の質問として「本尊段・本尊段遮難・下種僧宝論・修行段」の四問を発し、以後、往復対論を行いましたが、同年12月4日の本門講からの六回目の質問に対して蓮華会からの返書はなく、突然、口舌による対論に変更したいと申し出てきました。このため本門講は、同年12月14日、約定違反を明記した処断書を蓮華会側に送って問答の終結としました。蓮華会会長の田中は、処断書に対する何らの返答をすることもなく、にわかに行方をくらまし、この問答は本門講の勝利に終わりました。

 なお、この田中巴之助は後に田中智学と称して、この問答対論で得た大石寺の教義を巧みに取り入れて、在家教団「国柱会」を設立しています。同会は、もともと身延一致派の流れを汲みながら、横浜問答の後、一致派にはあり得ない「富士戒壇説」「漫荼羅本尊正意説」等を主張するに至り、その後、国体主義に迎合した「国立戒壇説」を唱えました。


「日蓮正宗入門」225〜226頁参照

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