日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


週刊向陽/第 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270

← 第251〜260号    
第271〜280号 →

第265号 目次  平成20年5月12日

○ 宗祖日蓮大聖人御報恩御講 奉修
○ 創価学会員の方へ


○ 建長 元年5月12日 大聖人様、伊豆御流罪
○ 天明 4年5月12日 伊那法難起こる
○ 文化 5年5月 8日 総本山第四十五世日礼上人様御正当の日
○ 文政13年5月 8日 総本山第四十九世日荘上人様御正当の日
日蓮大聖人御報恩御講 奉修
 宗祖日蓮大聖人御報恩御講が、5月10日(御逮夜)・11日(御正当会)の両日、御住職の御導師により厳粛に奉修され、多数の法華講衆がお寺に参詣され、御本仏日蓮大聖人様に厚く御報恩申し上げました。

日蓮大聖人御書:「寂日坊御書」
創価学会員の方へ
 次の文章をお読み下さい。平成二十年四月七日の聖教新聞の記事を抜粋したものです。A、B、Cという創価学会の職業幹部と思われる人たちの座談会の様子です。

A)布教所のある場所が、ひどい。何しろシンガポールで唯一の歓楽街のど真ん中にある(笑い)。

B)周りは、いかがわしい風俗店などが立ち並ぶ。そういうところだそうだ(笑い)。

C)そうなんだ。そもそも宗教施設を建てるような場所では全くない。

 お読みになった感想は如何ですか。あたりまえだと思った方は注意が必要です。変だ、と思った方は善根が残っています。その理由を、御書を拝して以下に述べますので最後までお読み下さい。

日蓮大聖人様は『一生成仏抄』(新編御書47頁・御書全集384頁 )で
衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり 
と仰せになります。有名な御文ですからご承知のことと思います。意味は、清らかな所と見えるのも、汚れた所と見えるのも、全ては私たちの心の善し悪しに原因がある、というものです。

 何故この御書を拝したかと申しますと、浄土も穢土もその人の心の動きである、とのお言葉は、換言すれば、職業や場所などで貴いとか劣っているとかの差別をしてはならない、良い場所であるとか悪い場所であるなどといって差別をしてはならない、全てはその人の心の中が問題なのである、ということをお伝えしたいからです。ですから、歓楽街のど真ん中にあろうとも、高級住宅街にあろうとも、なんら問題はなく、問題にする方がおかしいのです。

 如何ですか。御書に答へが示されているではありませんか。少なくとも破門以前の創価学会は御書の通りであったと思います。また、そのように学ぶのが日蓮大聖人様の生きた信仰であると教えていたではありませんか。

 また、開妙院のある地域にも、創価学会員が住んでいることと思います。この記事を見た学会員は、仲間から、特に日本の創価学会の大幹部からこのように思われ、発言されていることに大きなショックを受けることでしょう。「還著於本人」の御文を思い出してください。

 最後に、開妙院のある場所は、交通の便も良く、法華講員が喜々として参詣できる素晴らしい場所であることを申し添えます。

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺