日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


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第292号 目次  平成20年11月28日

○ 佛乗寺支部総会 開催
○ 日蓮大聖人佐渡配流をお偲びして(6)


○ 建治 元年11月24日 日目上人様、身延に上り、大聖人様に常随給仕
○ 昭和18年11月21日 総本山第六十世日開上人様御正当の日
○ 昭和32年11月23日 総本山第五十九世日亨上人様御正当の日
○ 平成 3年11月28日 御宗門、創価学会・SGIを破門
佛乗寺支部総会 開催
11月23日(日)、佛乗寺本堂において、本年度の佛乗寺法華講支部総会が盛大に開催されました。

これには講中の老若男女多数の方々がお寺に参詣され、読経唱題の後、種々の報告が行われ、また御住職よりご指導を賜わりました。
日蓮大聖人佐渡配流をお偲びして(6)


塚原三昧堂

『種々御振舞御書』
「十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず、四壁はあばらに、雪ふりつもりて消ゆる事なし。かゝる所にしきがは打ちしき蓑うちきて、夜をあかし日をくらす。夜は雪雹・雷電ひまなし、昼は日の光もさゝせ給はず、心細かるべきすまいゐなり」

佐渡塚原跡・地図
佐渡・塚原跡




■塚原配所考

日蓮大聖人の佐渡配流の地「塚原」については古来諸説がある。
しかし、それらはいずれも根拠に乏しく、これまで「塚原」の地を確定するには至らなかった。

一.佐渡守護所跡と本間重連館跡

佐渡において日蓮大聖人を預かったのは守護代・本間六朗左衛門重連である。当然、佐渡守護所と本間重連の館とは近距離にあった。守護所を特定する方法として、室町幕府が各国の府中(国府の所在地)に建てた安国寺の存在が欠かせない。佐渡に安国寺が建てられた時期は、日蓮大聖人の佐渡配流から六十年ほど後のことであるが、守護所の近くに建てられた安国寺は畑野の下畑にある。本間重連の館について言えば、『佐渡本間系図』には、日蓮大聖人が塚原に入ってから三十七年後の徳治三(一三〇八)年、本間十郎左衛門が波多(現・畑野町下畑)に熊野権現を建立したことが明記されている。これは本間氏館の敷地内に熊野神社を建立したものであり、この熊野神社は後に移転し、その跡に「熊野神社遺跡」の碑が建てられている。また周辺には「城」や「宮」の付く地名がいくつか残っている。これらのことから本間重連の館や守護所は、波多熊野神社跡とそれに隣接する下畑玉作遺跡とされる場所を含む約一町四方の地域にあったと考えられる。

二.塚原配所

守護所跡とされる下畑熊野神社付近から望むことのできる範囲で、日蓮大聖人遺文の「里より遥かにへだたれる野と山との中間につかはらと申す御三昧所あり」に符合する場所は目黒町のこの台地をおいてほかにない。この地の近くには、日蓮大聖人に深く帰依した阿仏房の子・藤九郎守綱のものと伝えられる墓があり、阿仏房の曾孫・日満が建てたとされる妙満寺もある。また妙満寺の西側に建つ目黒町熊野神社の水田には「塚の腰」の地名が残っている。
このように、守護所から監視できる場所に位置し、周辺に多くの史跡や関連する地名が残ること、古くから地域の共同墓地であったことなどから、この地を中心に、北は目黒町の熊野神社から南は目黒町と寺田の共同墓地のあたりまでの約二町歩の範囲内を佐渡における日蓮大聖人の「塚原配所」と推定する。

平成一九年三月一日

元筑波大学教授
天文博士 田中圭一

佐渡博物館館長
佐渡史学会会長 山本 仁


(以上、佐渡塚原跡の銘板・塚原配所考より)


参照
・日蓮大聖人正伝(216頁)
・日蓮大聖人御流謫・佐渡塚原(立正安国論正義顕揚750年記念局発行)

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