日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


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第299号 目次  平成21年1月16日

○ 宗祖日蓮大聖人御報恩御講 奉修
○ 日蓮大聖人佐渡配流をお偲びして(11)


○ 弘長2年1月16日 大聖人様、『四恩抄』を著す
○ 文永3年1月16日 大聖人様、『法華題目抄』を著す
○ 文永9年1月16日 塚原問答。本間重連に自界叛逆を予言
○ 文永9年1月17日 塚原問答。『法華浄土問答抄』を著す
○ 弘安3年1月11日 大聖人様、『百六箇抄』を日興上人に相伝
○ 元弘3年1月13日 日興上人様、『遺誡置文』二六箇条を定める
日蓮大聖人御報恩御講 奉修
1月10日(御逮夜)・11日(御正当会)の両日、日蓮大聖人御報恩御講が御住職の御導師のもと厳粛に奉修され、多数の方々がお寺に参詣し、仏祖三宝尊様に厚く御報恩申し上げました。
日蓮大聖人佐渡配流をお偲びして(11)

佐渡・塚原問答
佐渡塚原

■塚原問答

大聖人は過酷な御法難を忍ばれつつ、常随給仕の日興上人や阿仏房夫妻の献身的なご奉公の中、文永9年(1272年)、塚原の配所での年は明けた。

一方、持斎、念仏僧の唯阿弥陀仏、印性房等は徒党を組み、大聖人を亡き者にしようと謀議をこらして、数百人の者どもが下畑の守護所に押しかけ、守護代の本間重連に大聖人謀殺を迫ったのである。
『種種御振舞御書』

又云はく、六郎左衛門尉殿に申して、きらずんばはからうべしと云ふ。多くの義の中にこれについて守護所に数百人集まりぬ。六郎左衛門尉の云はく、上より殺しまうすまじき副状下りて、あなづるべき流人にはあらず、あやまちあるならば重連が大なる失なるべし、それよりは只法門にてせめよかしと云ひければ、念仏者等或は浄土の三部経、或は止観、或は真言等を、小法師等が頸にかけさせ、或はわきにはさませて正月十六日にあつまる。

と仰せのように、文永9年正月16日、諸宗の僧等が続々と塚原の三昧堂に集まり、口々に大聖人を罵り、騒ぎ、その音声は地震か雷鳴のようであったという。

大聖人は、彼等をしばらく騒がせて後、
各々しづまらせ給へ、法門の御為にこそ御渡りあるらめ、悪口等よしなし

と声高に仰せられた。

居合わせた六郎左衛門は、「誠にその通りである」と言って座を静め、執拗に悪口する念仏者の首根を捕えて遠くへ追いやった。

そこでいよいよ問答が開始された。

塚原問答の様子について『種種御振舞御書』には
さて止観・真言・念仏の法門一々にかれが申す様をでっしあげて、承伏せさせては、ちやうとはつめつめ、一言二言にはすぎず。鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりもはかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ。利剣をもてうりをきり大風の草をなびかすが如し。

とあるように、大聖人に対して、鎌倉の大寺の学匠たちでさえ叶わないものを、佐渡や奥州のいなか僧侶が勝てるわけはなかった。

彼等は大聖人の一言二言の破折に対し、
仏法のおろかなるのみならず、或は自語相違し、或は経文をわすれて論と云ひ、釈をわすれて論と云ふ。善導が柳より落ち、弘法大師の三鈷を投げたる、大日如来と現じたる等をば、或は妄語、或は物にくるへる処を一々にせめたるに、或は悪口し、或は口を閉ぢ、或は色を失ひ、或は念仏ひが事なりけりと云ふものもあり。或は当座に袈裟・平念珠をすてゝ念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり。

という醜態ぶりであった。かくしてこの問答は、大聖人の正義の前にいともあっけなく終わってしまった。

問答が終わり立ち去ろうとする六郎左衛門に対し、大聖人は、近いうちに鎌倉で戦が起こる旨を予言された。
日蓮不思議一つ云はんと思ひて、六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云はく、いつか鎌倉へのぼり給ふべき。かれ答へて云はく、下人共に農せさせて七月の比と云云。日蓮云はく、弓箭とる者は、をゝやけの御大事にあひて所領をも給はり候をこそ田畠つくるとは申せ、只今いくさのあらんずるに、急ぎうちのぼり高名して所知を給はらぬか。さすがに和殿原はさがみの国には名ある侍ぞかし。田舎にて田つくり、いくさにはづれたらんは恥なるべしと申せしかば、いかにや思ひげにて、あはてゝものもいはず。念仏者・持斎・在家の者どももなにと云ふ事ぞやと怪しむ。

その一ヵ月後、大聖人の予言は「二月騒動」という北条一門の同士討ちとして現れ、この予言的中により、島民の中には大聖人に畏敬の念を抱く者たちが出てくるようになりました。

明けて翌17日、問答に惨敗した念仏者たちは、更に彼等の棟梁である印性房弁成を立てて、塚原の三昧堂を再び訪れたが、これとて全く問題ではなく、大聖人は一々にこれを論破された。

その時の記録が、『法華浄土問答抄』(御書509頁)として遺され、大聖人の花押と並べて印性房も花押を認め、念仏が邪儀なることを自認している。

こうして佐渡における念仏僧の第一人者たる印性房弁成までが完膚なきまでに打ち破られ、この塚原における問答は一切の決着がついたのである。


参照
・日蓮大聖人正伝(223頁〜)
・日蓮正宗入門(101頁〜)

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