日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


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第301号 目次  平成21年1月30日

○ 日蓮大聖人佐渡配流をお偲びして(13)


○ 文化14年1月27日 総本山第四十六世日調上人様御正当の日
○ 昭和 3年1月26日 総本山第五十八世日柱上人様御正当の日
日蓮大聖人佐渡配流をお偲びして(13)

佐渡・塚原問答


『種種御振舞御書』

二月の十八日に島に船つく。鎌倉に軍あり、京にもあり、そのやう申す計りなし。六郎左衛門尉其の夜にはやふねをもて、一門相具してわたる。日蓮にたな心を合はせて、たすけさせ給へ、去ぬる正月十六日の御言いかにやと此の程疑ひ申しつるに、いくほどなく三十日が内にあひ候ひぬ。又蒙古国も一定渡り候なん。念仏無間地獄も一定にてぞ候はんずらん。永く念仏申し候まじと申せしかば、いかに云ふとも、相模守殿等の用ひ給はざらんには、日本国の人用ひまじ。用ゐずば国必ず亡ぶべし。


■重連への予言的中

塚原問答の後、大聖人は本間六郎左衛門に対し、自界叛逆の難が起こることを予言されていたが、これが的中し、北条家一門による同士討ちの騒動が起きた。
世にいう「二月騒動」の勃発である。

それはちょうど塚原問答の予言から一ヶ月後のことであり、二月十八日に佐渡へついた早船によって、その報せがもたらされた。

塚原問答の折、大聖人の予言をいぶかしがっていた六郎左衛門をはじめ一門の者たちは、この報せを聞いて大いに驚き、佐渡塚原の大聖人のものに馳せ来たって、今までの気持ちを改め「永く念仏申し候まじ」と誓ったのである。そして、その夜、六郎左衛門は急遽、早舟をもって一門を率いて鎌倉へと渡っていった。

大聖人はこの「二月騒動」を通して『佐渡御書』に
宝治の合戦すでに二十六年、今年二月十一日十七日又合戦あり。外道悪人は如来の正法を破りがたし。仏弟子等必ず仏法を破るべし。「師子身中の虫の師子を食む」等云云。大果報の人をば他の敵やぶりがたし。親しみより破るべし。薬師経に云はく「自界叛逆難」是なり。仁王経に云はく「聖人去る時七難必ず起こらん」云云。金光明経に云はく「三十三天各瞋恨を生ずるは、其の国王悪を縦にして治せざるに由る」等云云。日蓮は聖人にあらざれども、法華経を説の如く受持すれば聖人の如し。又世間の作法兼て知るによて注し置くこと是違う可らず、現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず、日蓮は此関東の御一門の棟梁なり、日月なり、亀鏡なり、眼目なり、日蓮捨て去る時、七難必ず起るべしと、去年九月十二日御勘気を蒙りし時、大音声を放てよばはりし事これなるべし。僅に六十日乃至百五十日に此事起るか。是は華報なるべし。実果の成ぜん時いかゞなげかはしからんずらん。

と仰せられている。

一方佐渡の島民の中には、大聖人の予言が的中したことにより、
在家の者ども申しけるは、此の御房は神通の人にてましますか、あらおそろしおそろし。今は念仏者をもやしなひ持斎をも供養すまじ(「種種御振舞御書」)

と畏敬の念を懐き、心を寄せる者も出て来た。

また鎌倉の幕府においても、予言の的中に恐れをいだき、竜の口法難の際、入牢せしめていた日朗、日心、坂部入道等の五名を、にわかに釈放したのである。

大聖人は『光日房御書』に
天のせめという事あらはなり。此れにやおどろかれけん、弟子どもゆるされぬ

と記されている。


参照
・日蓮大聖人正伝(229頁〜)

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