日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


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第303号 目次  平成21年2月13日

○ 日興上人御報恩御講(興師会) 奉修
○ 日蓮大聖人御報恩御講 奉修


○ 元弘 3年2月7日  日興上人様、重須にて御入滅
興師会 奉修
2月7日、興師会(こうしえ/日興上人御報恩御講)が御住職の御導師のもと厳粛に奉修され、多数の法華講衆がお寺に参詣され、日興上人様に厚く御報恩申し上げました。



日興上人は、寛元4年3月8日、甲斐の国大井の庄鰍沢に御誕生になられました。

幼少の頃がら既に非凡であられた日興上人は、蒲原荘の四十九院に上がって仏法を学ばれました。特に能筆の才能はすばらしく、後年大聖人のお手紙を代筆されたり、重要な御書を写し取って後世に残されています。

正嘉2年、御寿十三歳の時、岩本実相寺において、大聖人をお慕いして御弟子となり、伯耆房と名乗られました。

以来、日興上人は生涯大聖人への御給仕を怠ることなく、大聖人伊豆・佐渡配流の際も、自ら大聖人様に御供し、御給仕されました。

また甲斐・駿河・伊豆・遠江の各地において弘教に精進せられました。

このように師に対する不断の常随給仕と熱烈な信仰により、自ずと大聖人の真の教えを会得されたのです。

建治元年の中頃、熱原の法難が引き起こされました。しかし、大聖人の指導と日興上人の指揮により、名もない庶民の信徒は熱烈に大法を信受し、退転することなく大聖人の正義を死を賭して貫き通したのです。

弘安5年、大聖人は日興上人に二箇の相承をお授けになられ、下種仏法の一切と身延山の貫主の付嘱をされました。

大聖人御入滅後、五老僧たちは権勢を恐れて諸々の師敵対謗法を犯しましたが、日興上人はいささかも教義を曲げることなく、正義を守り抜かれ、身延在住七年、地頭の四箇の謗法により、日興上人は断腸の思いで魔の栖と化した身延山を離山されたのです。

正応3年10月12日、大石ヶ原に大石寺を建立して大聖人の御法魂を御安置されました。この日興上人の身延離山は、実に大聖人の御遺言であり、戒壇建立という日興上人の重大なる御決意であったことを銘記すべきです。

元弘3年1月13日、日興上人は御遷化の半月程前に『日興遺誡置文』を定めて後世に遺されました。そして、南朝の元弘3年、北朝の正慶2年の2月7日、日興上人は重須に御遷化あそばされました。御寿八十八歳でした。

我々法華講員は、この日興上人の「常随給仕」「折伏弘教」の御精神を信心の亀鑑とし、大聖人、日興上人以来の祖道をさらに磐石に確立してまいろうではありませんか。
日蓮大聖人御報恩御講 奉修
今月の御報恩御講が、7日(御逮夜)・8日(御正当会)の両日にわたり御住職の導師のもと厳粛に奉修されました。

これには講中より多数の法華講員がお寺に参詣され、宗祖日蓮大聖人様に厚く御報恩申し上げました。

■日蓮大聖人御書拝読と御法話:『妙法比丘尼御返事』

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