日蓮正宗佛乗寺法華講青年部 週刊向陽


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第304号 目次  平成21年2月20日

○ 日蓮大聖人御誕生会 奉修
○ 日蓮大聖人佐渡配流をお偲びして(14)


○ 貞応元年2月16日 大聖人様、安房国東条郷小湊に御誕生
○ 永仁 6年2月15日 日興上人様、重須に談所を開設
○ 天明 5年2月20日 総本山第三十八世日泰上人様御正当の日
日蓮大聖人御誕生会 奉修


2月16日、日蓮大聖人御誕生会(たんじょうえ)が、厳粛に奉修されました。

日蓮大聖人は、今より七百八十七年前の貞応元(1222)年二月十六日、安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市)において、父・三国大夫重忠と、母・梅菊女のもとに御誕生になりました。

大聖人の御出生の際には、御父母が不思議な霊夢をご覧になられたことや、さらには種々の不思議な瑞相のあったことが日興上人の『産湯相承事』に記されています。

また大聖人は『百六箇抄』の中で、
「久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」(御書一六八五頁)
と、大聖人の本地は久遠元初の自受用報身如来であることを明示あそばされています。

したがって、二月十六日というのは、一往は凡夫の日蓮大聖人が御誕生あそばされた日と拝されますが、再往は久遠元初の御本仏が末法濁悪の一切衆生救済のために、示同凡夫のお姿をもって御出現あそばされた日と拝するのです。また、脱益の教主・釈尊の入滅が二月十五日であることも、不思議な符合と考えられます。

総本山大石寺では御誕生会の二月十六日、御法主上人猊下の大導師のもと五重之塔の御塔開きが行われます。

通常、寺院の建物は南向きに建立されますが、この五重宝塔は西向きに建立されております。釈尊の仏法がインド、中国大陸、朝鮮半島を経て東へと渡り、日本へと伝わりましたが、末法の今日においては、逆に日本から西へ、そして全世界へと一切衆生を救済する真実の大仏法が広宣流布するとの御本仏日蓮大聖人の御教えに基づき西向きに建立されているのです。

尚、東海道随一のこの五重の塔は、国の重要文化財に指定されております。
日蓮大聖人佐渡配流をお偲びして(14)


■『開目抄』の御述作

塚原問答の翌月の文永九年二月、日蓮大聖人様は『開目抄』二巻を著されました。これは当時鎌倉で退転者が続出するという一門の危機にあたり、近くは有縁の弟子の疑いを解くためと、遠くは末法万年の衆生の盲目を開かんがため、末法の御本仏として発迹顕本の境界、すなわち人本尊開顕の大綱を明かされた重要な御書であります。

『種々御振舞御書』には、
去年十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば日蓮が不思議とゞめんと思ひて勘へたり。此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。只今世乱れて、それともなくゆめの如くに妄語出来して、此の御一門どしうちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し。(御書一〇六五頁)

とお示しです。

開目抄は、文永八年十一月から深く勘案された不思議の境界、すなわち頸の座における久遠元初自受用報身として発迹顕本された仏の生命を、紙も乏しい極寒の塚原三昧堂で認められ、竜の口に供奉した四条金吾を通じて門下一般に与えられた、末法万年尽未来際の民衆を救済し成仏せしめる永劫不変の根本指南書であり、
此は釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国、当世をうつし給ふ明鏡なり。かたみともみるべし。(御書五六三頁)

と仰せられている。

当抄の題号について、日寛上人は『開目抄愚記』に

「今、開目抄と題することは、盲目を開く義なり。所謂、日本国の一切衆生、執権等の膜に覆わるる為に真実の三徳を見ること能わず。故に盲目の如し。然るに当抄に、一切衆生をして盲目を開かしむるの相を明かす。故に開目抄と名づくるなり」

と釈され、大要次のように説かれている。

まず「開」の字に二意ありとし、一には障りとなるものを除く(所除)の義、二にはものを見る(所見)の義である。

次に盲目とは、(1)外典の人、(2)爾前の人、(3)迹門の人、(4)脱益の人の四種であり、これらに執着して文底下種の三徳を見ないゆえに盲目というのである。

三徳とは、主、師、親の三つの徳をいい、当抄の冒頭に
夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師・親これなり。又習学すべき物三つあり。所謂、儒・外・内これなり。

と標榜し、主師親は人を表し、儒外内は法を表しており、『開目抄』はこれら人法の両面から従浅至深して検討を加え、末法適時の三徳を論究されている。

古来本宗において、教行証の三重のうち、当抄が教の重にあたるといわれている。

当抄の前半に五重の相対をもって一切の教法を従浅至深して判定し、後半においては法華経の文証と予証をもって、末法の法華経の行者を明らかにされているからである。

すなわち『開目抄』における「五重相対」とは

一、内外相対
二、権実相対
三、権迹相対
四、本迹相対
五、種脱相対

であり、この中において第五の種脱相対によって明かされる教法こそ、末法適時の真実の教えであり、事の一念三千の妙法である。

当抄に
一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。竜樹天親は知って、しかもいまだひろいいださず。但我が天台智者のみこれをいだけり。(御書五二六頁)

とあるところの「寿量品文底下種」の仏法こそ、末法に出現される本因妙の教主によって建立される真実の妙法なのである。

では、末法出現の本因妙の教主、法華経の行者とは誰であるのか、この解明が当抄の後半でなされるのである。

(次号に続く)


参照
・日蓮大聖人正伝(233頁〜)

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